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星の彼方 雲の隙間

声が届かなくても想ってるよ

おたく歴15年にして初めての担当ができた話

五関晃一 A.B.C-Z KinKi Kids
担当、という言葉が嫌いだった。
というか、意味が理解できなかった。

私はずっと堂本光一さんが好きで、その気持ちは尊敬を通り越え崇拝の域にさえ達していた。気付けばKinKi Kidsのファンである自分を自覚してから15年の月日が流れている。便宜上「きんき担」とか「光一担」という言葉を使うことはあっても、光一さんを担当だと思ったことは一度もなかった。そんな俗っぽい言葉でこの想いを形容したくないと思っていた。

担当という言葉には、「大勢の中で私は責任を持ってこの人を見ている」というニュアンスがあるように思う。この解釈が正しければ、宇宙一のセカイ系スーパーアイドルであるところのKinKi Kidsのファンに担当という言葉を使わない人が多いのも頷ける。最初から世界にはカルマに結び付けられた唯一無二の2人しか存在しないのだから、そんなことをいちいち表明する必要はない。ただただその運命の尊さに感謝していれば良い。

だから私に担当なんて言葉は必要ない。
そう思っていた。

あの日までは。



A.B.C-Z Early summer concert初日。去年の伝説コンのときから五関くんのことは好きだったので、お友達のお友達に紹介してもらうときには「五関担」と呼ばれていたし、自分でも「便宜上五関担を名乗っております」などと訳のわからないことを口走っていた。

コンサートの感想は改めて書くつもりだが、待ちに待ったA.B.C-Zのコンサートはそれはもう天国のようだった。あまりにも楽しかった。中でも五関くんの振付はメンバーの個性と曲の特徴、さらに総合演出を務めた河合くんの意図までを完璧に理解して表現された出色の出来栄えだった。ダンスの才能は今更言うまでもなく群を抜いていたし、ソロでは圧倒的な存在感で紛れもなく会場を抱いていた。今思えばほとんど五関くんしか見ていなかったかもしれない。

そして初日を終えた帰り道、地震による電車の遅延トラブルに巻き込まれながら、ある考えが頭をもたげた。


「五関くんを、担当と、呼びたい」


ふつふつと沸き上がるような衝動だった。去年の伝説コンでそのパフォーマンスに衝撃を受け目を奪われたあの日からなんとなく気付いていたけれど、見て見ぬフリをしていた気持ち。

でも、もう逃れられないと思った。メンバーはみんな心から大好きだけれど、ステージで輝く五関くんを見続けたいと思った。ついに捕えられてしまったという諦念と、未来が広がったようなワクワクが混ざり合った初めての気持ち。そして、あの広い会場に居場所を見つけたような安らぎを感じたのを覚えている。気付いたときにはもう随分と遠くまできてしまっていて、中学生の初恋のようにTwitterで好きだ好きだと喚き散らすしかできなかった(今でも割とそうだけど)。

何がそんなに好きかと考えてみても、ダンスがめちゃくちゃ上手いとか、振付センスがジャニーズ最高峰とか、優しく響く声とか、オールディーな海外俳優みたいな顔とか、ちょうど良い筋肉のつき方とか、大きな手とか、くしゃっとした笑顔の可愛さとか、愛され力とか、ブレないとことか、そのくらいしか出てこなくて、正直なんでこんなに惹かれてしまったのかはまだよくわからない。でも許され得る限りこの人のパフォーマンスや生き様を見たい。感じたい。その気持ちだけは事実だった。

きっとこの先楽しいことばかりではないと思う。本人の気持ちや才能や努力に関わらず、悔しいこともやるせないことも降りかかるに違いない。そんなとき、支えてあげるというのは流石に傲慢だけれども、まっすぐに見つめ、祈っていられる存在でありたい。自分勝手に愛し都合のいい夢を見るおたくが自担にできるせめてもの償いだから。


「担当は作るものでなく落ちるもの」という言葉を聞いたことがある。本当にその通りだと思う。人生何が起こるか分からない。どんな出会いがあるか分からない。おたくというのはつくづく業の深い生き物だ。