星の彼方 雲の隙間

声が届かなくても想ってるよ

我が人生を満たす色は

気付けば、あれから1年が経った。


見えない何かへの恐怖に拍車を掛けたのは、誰かに会えば取り返しのつかないことになるかもしれないという不安だった。親しければ親しいほど、愛しければ愛しいほど気軽に会って会話することができないという、半年前までは夢にも思わなかった世界。それが確かに眼前に広がっていた。

誰もが昨日までとは同じように生きられない社会。

誰もが明日の自分に不安を覚える日々。

その中でも、心電図が停止するかの如く時が止まってしまったのが私の愛するエンターテイメントの世界だった。春から夏にかけて何枚も大切に抱えていたチケットはすべて、夢への切符からただの現金へと姿を変えた。「最大の挑戦」になる筈だった舞台は、幕が上がらぬまま終わってしまった。


もちろん、こんなときだからこそエンターテイメントは必要とされた。音質や画質にこだわっている場合ではなかった。どんな形でも光を届けようとするたくさんの志を私は確かに見た。


それでも、私の日々は、

いつの間にかモノクロに変わってしまった。


部屋に籠り、何度動画を見ても満たされない気持ちがあった。劇場で、コンサートホールで、自分にしか見えない景色が見たかった。「その場所」に向かうためにメイクをし、服を選び、少し早く友達と待ち合わせてランチをする。良い作品と出逢えれば、それだけ良いお酒が飲めた。私の人生を支えていたそんな些細な幸せが、何故奪われなければいけないのか理解ができなかった。


状況は、良くもなったし悪くもなった。制限付きでの公演が再開されてからも、それがいつ中止になるかは誰にも分からなかった。劇場の灯を絶やさない為にもチケットを買い、絶対に中止にさせない為に厳しいルールを守り続けた。見えない明日はこの事実を積み上げた先にあると信じるしか、術はなかった。


10月。帝国劇場にミュージカルが帰ってきた。


個人的には9月の帝劇再始動の公演にも行ったが、ミュージカルの帰還はやはり特別だった。秋の帝劇に現れた初夏のローマは明るく爽やかで少しだけ切なく、愛おしかった。

 

平行して、和樹さんは延期になっていたツアーを走り抜けた。ライブハウスの収容率を下げ、トーク時は着席。恒例の乾杯は用意された音声で行った。ファンの中にも当然行けずに悲しむ人が居たし、ニコ生のコメント欄で今ライブをやるべきでないとハッキリ伝える人もいた。そのすべての気持ちを受け止めて、和樹さんは歌を届け、必ずまた会おうと約束してくれた。


そして、この悪夢のような年の12月に発表されたミュージカルが「BARNUM」だった。伝説の興行主P.T.バーナムの生涯を描いたミュージカルの日本版である。


私は映画「グレイテストショーマン」が大好きだった。普段映画館に行かない私が何度も足を運んだ。ショーを生きる登場人物たちの想いは胸を打ち涙を誘い、勇気を与えてくれた。ミュージカル感を大事にしながらも映画ならではのダイナミックな手法が随所に取り入れられた秀逸な作品で、サントラをあんなにリピートしたのも初めてだった。


その映画でヒュー・ジャックマンが演じたバーナムの人生を、劇場で、ミュージカルとして上演する。それだけでも期待せずにはいられないのに、主演するのが(すっかり推しと呼ぶのにも慣れた)加藤和樹さんだというのだからこれはもう大変なことだついでに言うと私の人生を狂わせた「BACKBEAT」が上演されたのも同じ東京芸術劇場プレイハウスだった(ドリーマーのくだりで頭の中にImagineが流れるのは私だけじゃないよな?)。


物語はバーナムのホラ吹きから始まる。周りの仲間や妻が眉を顰めても、「イカサマは気高き芸術だ」と言って憚らないこの男は、夢に取り憑かれたようにその目を輝かせている。対する妻チャイリーは、もっと尊敬に値する芸術にその想像力を使えと彼を窘める堅実な女性であった。それでも愛し合い互いを尊敬する二人が共に生きた日々の色彩を、ミュージカルは鮮やかに描き出す。


そしてこの舞台のキーワードは「色」だったように思う。


金色、激しい色彩を世界にぶちまけようとするバーナムと、優しい大地の色を望むチャイリー。一度は成功した彼が自分には向かないと分かっていても堅実に生きようと試行錯誤する日々は「Black&White」に乗せて歌われる(ミエ様の歌唱が本当に素晴らしすぎて痺れたよね)


特に好きだったグレイテストショー前夜のシーン。


チャイリーの墓前で自分のイカサマとアメリカの英雄たちの夢は深いところで繋がってるんじゃないかと独り言つバーナム。彼女と追いかけた上院議員の夢を諦め、サーカスへの誘いをも断ろうとしたとき、激しい赤黒のジャケットを羽織ったクラウンたちが「サーカスこそ人生だ」と歌う。ずっと追い求め信じ続けてきた色彩豊かな夢が、再び地上最大のショーへと彼を駆り立てるのだった。


そして地味な青色のジャケットを着替え羽織ってくるロングコートは「無色透明」。可視光線のすべてを透過するその色を纏い、人生というショーを最後まで駆け抜けるバーナムがその笑顔を絶やすことはなかった。


最初に見たときは、何故最後の最後で透明なのだろうと思った。劇場を出て「ポリエチレンテレフタレート様」という単語が聞こえたときはもう少しで吹き出すところだった。でもそれはきっと、世界を激しく染め上げ続けたバーナムが、最後に辿り着いた境地なのだろう。

 

「おいでサーカス」

「本当はずっと来たかった筈」

「絶対後悔しない」

 

ずっと欲しかった言葉。嘆きの言葉しか出てこなかった日々。悲しみや不安が笑顔に昇華される瞬間を、その座席で目撃した気がした。

 

天に与えられた想像力とカリスマ性、そして最愛の妻チャイリーが教えてくれた立ち向かう勇気。恐ろしいまでにじっとしていられないこの男は(双眼鏡ゆっくり構えられるシーンが全然なかった)、ペテン師の称号とは裏腹に、どんなときも未来に目を輝かせる子供のようだった。

 

この世で60秒ごとに起きる全ての現象は、激しく煌びやかに、時に儚く恐ろしく彩られ、私や貴女のような「見たがり屋」の餌となる。そしてバーナムが色をぶち撒けた道の先に、エンターテイメントを作り、愛する私たちは確かに今立っている。バーナムのショーが過去となったのは、今日この日も新たなショーが生まれ続けているからに他ならない。

 

奇しくも、東京公演中の21日に緊急事態宣言は解除されることとなった。もちろんすぐにかつての日々が戻るわけではない。でも、平日16時開演や、収容率を半減した公演は減らしていけるという希望が確かに生まれた。


モノクロだった日々に、バーナムのぶち撒けるたくさんの色彩が、戻ってくるのかもしれない。偶然と吐き捨てるにはあまりに出来すぎている。


エンターテイメントを愛する全ての人が悪夢に立ち向かう勇気を持ち、レンガを積み上げるようにひとつひとつ積み重ねてきた日々が、確かに明日の世界を照らしたのだと信じるのは愚かでしょうか、ねえバーナム?