星の彼方 雲の隙間

声が届かなくても想ってるよ

いっそ貴方と死にたい~再演初見の加藤アンリガチ恋勢が北極にハピエンの幻覚を見るまで~


ミュージカル「フランケンシュタイン」が見る人を選ぶことは初演を見た人たちから幾度となく聞いていた。過去の感想を綴るツイートには地獄というワードが頻出し、それを呟く誰もが目を爛々と輝かせる様子が脳裏をよぎった。


かくいう私も地獄を愛する方のおたくである。
ハッピーエンドももちろん嫌いではないが、なにせ堂本光一さんのEndless SHOCK(本日初日ですねおめでとうございます)育ってきた。喪失の先にこそある永遠を毎年泣きながら拝み倒しているのだ。


だからなんとなく、この作品は私の肌に合うだろうなと感じていた。どんな地獄が見られるのか、その先にハッピーエンドの幻覚は見えるのか、幕が上がるのがとても楽しみだった。


そして迎えたmy初日。


初めて拝見した柿澤さんは仔犬のような目が印象的で、決して大きくない(ように見える)身体に人目を引くオーラとパワフルな歌声を秘めていた。


最初のシーンから雷鳴と共に現れるゴシックな世界観に引き込まれ、ここに辿り着くまでに何が起こったのか覗きたい衝動に駆られる。


…と、次の瞬間、戦争の混乱の最中、さっきまであられもない姿で薄汚れていたはずの和樹さん(言い方)が品のある軍人の姿で登場する。


アンリ・デュプレ少尉は大けがをした敵軍の兵士の足を縫合しようとしてスパイの罪に問われる。即時射殺されることになり「言い残すことは?」との問いかけに「ない」と断言するアンリ。


推し、もう死ぬのか・・・・・・・・・


と思ったそのとき、アンリの名を呼ぶ堂々たる声が響いた。ビクター・フランケンシュタイン大尉のおでましである。大尉はアンリが過去に書いた論文を褒め称え、「この男は俺が連行する」と宣言。しかしアンリは、その論文は間違いであった、貴方の研究も間違っていると大尉に噛み付く。死ぬ覚悟を決めた人間は強い。


大尉の研究所に行くことになった後も、科学の目的は生態系維持であると主張を譲らないアンリ。しかしビクターは争いを繰り返す人類の愚かさを説き、だからこそ新世界の神として生命の創造を進めなければいけないと彼を説得。もともと人類への絶望を抱えていたアンリは、その力強い手を握ることを選択した。


アンリとビクターの出会いは劇的で、研究者同士のプライドのぶつかり合いが垣間見える。彼らのアイデンティティが軍人というところにあれば、このような本気の衝突はなかったかもしれない。しかしこの衝突があったからこそ、ふたりは本当の意味で手を取り合い、研究の道を突き進むことを決めたのだった。

 

和樹さん演じるアンリは立ち姿からも品の良さが窺える清廉な軍医である。戦争はあくまで制圧のための手段であり命の大切さに敵味方は関係ない、とまっすぐに主張する姿はとても眩しく、それ故に戦時中の混乱の中ではきっと生きづらさがあったのだろうと思い至る。大尉に対しても主張を曲げない芯の強さにこそ、ビクターは惹かれたのかもしれない。


戦争の終結を祝う舞踏会ではビクターの叙勲が称えられるが、帰還した彼は集まった人々に笑顔を見せることなく、閉鎖されていた城に籠り研究を続けていた。様子を見に来た姉のエレンはアンリにビクターの背負う「亡霊」について話し始める。

 

舞踏会でひときわ目を引く令嬢ジュリアはビクターの幼なじみで、ふたりはかつて大きくなったら結婚しようと約束した仲だった。戦争から彼が帰るのを待ち焦がれていたにも関わらず戻ってきた彼の態度は素っ気ないが、ジュリアは涙を浮かべながらも笑顔で彼を信じ続けるのだった。


ジュリアを演じる音月桂さんは「ナイツ・テイル」の際に初めて拝見して、美しさと華やかなオーラ、さらには可憐さと芯の強さを兼ね備えた魅力的な女優さんだと感じ一瞬で虜になった。そして何より表現力豊かな歌が大好きだった。一途にビクターを信じて待ち続け、想いが溢れて泣きながら微笑むジュリアはこの世のものと思えないほど美しく、気付けば客席で毎回涙が流れていた。


ビクターの過去シーンではリトルビクター、リトルジュリアが登場する。いずれも帝劇出演経験のあるトップレベルの子役で、見た目の可愛さもさることながら、確かな歌と芝居の実力に唸らされた。

 

「亡霊」のハイライトである魔女狩りは民衆がその不安から暴徒になる流れが恐ろしく、剥き出しの悪意を向けられる姉弟に救いがありますように、と願わずにはいられない。


実験がまたも失敗に終わり城を飛び出したビクターは、酒場で持論を展開し酔客に暴力を振るわれていた。止めに入ったアンリに対し「この壮大な理想の堕落を見ろ」と自暴自棄になるビクター。そこに飛び込んできたルンゲが告げたのは、新たな材料が入手できそうだという一報だった。


大好きな酒場のシーン。「生命」が内包する民衆の平々凡々とした生活を、ほんの少し明るく照らす刹那。自暴自棄になる親友を励まし「諦めるのか?」と聞くアンリは時に兄のように時に同志のように、理想主義者であるが故に萎れそうなビクターの心に勇気を与える。


「生きるってなんなの?」それは研究者だけでなく、日々を生きる人々にも共通の命題だった。


場面は翌日に移り、縄で手を縛られたアンリが怒り狂った民衆とともに広場に現れる。殺人の罪を問われた彼はハッキリと自分のしたことだと自供。金に目がくらんだ葬儀屋とその葬儀屋に激怒したビクターが起こした2件の殺人を、アンリはひとりですべて背負おうとしていた。


一方のビクターは、城で一人頭を抱えていた。
親友が自分の罪を被って今にも処刑されそうだというのに足が動かない。自分の中に眠る恐ろしい欲望の影。しかしそれを成し遂げることは、唯一無二の相棒を殺した唾棄すべき殺人者に成り下がることを意味していた。


髪を乱し少しやつれたように見えるアンリは最初こそ民衆の怒りに驚きの表情を浮かべるものの、覚悟を決めてからはむしろ晴れ晴れとした顔で断罪を受け入れる。友を庇う為に、あるいは研究を完遂するという願いの為に。アンリの想いはどこにあったのだろうか。それは相手によっても日によっても違って見え、一瞬たりとも目が離せなかった。


ビクターの動揺についても演者によって、日によって、いろいろなパターンがあった。エレンにアンリの首が欲しいのかと問われて初めて自分の中にある欲望に気付くこともあれば、アンリの首のことで頭がいっぱいなのにそれを表に出さないよう押しとどめていることもあり、その日その瞬間を生きるビクターの様々な表情を見ることができるのがとても面白く、贅沢な体験だった。


判決の日。ビクターは本当は自分がやったのだと白状するが、叔父のステファン市長が戦争の後遺症を指摘したことで証言は却下される。アンリは聴衆の望み通り死刑を宣告され、執行は明日。

 

最後の夜、ビクターはアンリのもとを訪れ、本当のことを言おうと持ちかけるが、アンリは出会ったその日にビクターの瞳に恋をしていたこと、ビクターの夢の中で生きられるなら悔いは無いことを告げ、生きるべきは君だと親友を説き伏せる。翌朝予定通りに死刑は執行されるが、その首は行方不明となった。


1幕のクライマックスはビクターとアンリの激しい感情の応酬で息もつけない展開が見応え抜群だった。ビクターと見る夢だけを胸に死んでいくことを決めたアンリ、ことの重大さに震えながらも決意を固めるビクター。


一度拾ってもらった命を彼のために使うならなんの後悔もないというアンリのまっすぐさは時に美しくも見え、時に夢に突き進む狂気を感じさせるもので、夢という名の「欲望」がアンリまでも飲み込んでいく様子が印象的だった。断頭台の前で見せる笑顔には少しの曇りすらなく、だからこそ見ている者の衝撃と悲しみを誘う。行かないでアンリ、というビクターの声が頭の中で聞こえたのは私だけではないと思う。太陽のように眩しい彼の理想に恋をしたアンリの、短い生涯はかくして幕を閉じた。


対するビクターは親友を殺す罪の意識と別離への悲しみを隠さず、それでいて結局はアンリの提案を受け入れることになる。ふたりのビクターはともに表現の幅が豊かで、本当に目が足りないとしか言いようがなかった。ともあれこの出来事は決定的にビクターを変えてしまう。


このあと首を持ち帰ったビクターは何かに取り憑かれたように研究を進め、アンリの首を最後の材料として最大の挑戦へと向かう。ここで冒頭のシーンが繰り返され、誕生した怪物は自分を攻撃したルンゲを殺害、ビクターは絶望に包まれながら、アンリとして生まれ変わったはずだった怪物の破棄を決意する。


生まれたての怪物はまるで赤子のように笑い、ビクターの呼びかけに応えようとしていた。きっとじゃれていただけだったのだと思う。それを怪物と罵られ攻撃された。怒りにまかせてやり返したら相手は動かなくなり、さっきまで優しく声をかけてくれたビクターが怖い目をして自分を殺そうとした。理解が追いつかないまま、押し寄せる怒りと悲しみが怪物の心を蝕んだ。

 

これが呪いだ、彼がそう思ったかどうかは分からないが、かつてビクターが言っていたように、神たる創造主は怪物に呪いをかけてしまった。最後の希望だったふたりの夢は、こうして最初の悲劇を生み出したのだった。


それから3年後。

ビクターは幼い日の約束通りジュリアと結婚式を挙げる。この間怪物を探し続けたビクターは、雷鳴が轟くたび恐怖に怯える日々を過ごしていた。

 

ある日、ステファン市長は森の中で行方不明になり、連れていたはずの犬が無残に嚙み千切られた状態で発見される。街の人とともに森を捜索するビクターの前に現れたのは、あの日逃げて行った怪物だった。


ビクターを「創造主」と呼ぶ怪物。その手は真っ黒に汚れ、傷も増えているように見える。自分の作った生命が知性を得たことに驚くビクターに、アンリの記憶はないと吐き捨てた怪物が、その過去を語り始める。


ビクターとジュリアの幸せな時間はあまりにも束の間の出来事だった。ジュリアのソロナンバーでは幸せばかりでなくこの先を予見するようなフレーズが印象的に歌われる(ちょっと演歌っぽいよね)

 

この3年のジュリアの献身ぶりは察するに余りあるが、ビクターはやはり悪夢に魘されるが如く怪物のことが頭から離れないようだった。事件を告げるように雷鳴が鳴り響き、混乱の中でビクターの前に現れた怪物は、アンリの顔をしていながらビクターを創造主と呼び、アンリをあの男と呼ぶ別の人格で、その声には悲しみと怒気が混ざり合っている。その姿を見て思わずアンリと口走るビクターは3年間どんな想いで過ごしていたのだろう。1幕のシーンのように失敗作を破棄しなくてはという責任感だったのか、アンリの首を取り戻したい友愛だったのか、それとも。

 

ビクターの部屋を逃げ出した怪物はただ走っていた。訳も分からぬまま追い回され銃を向けられた。目から零れる雫を涙と呼ぶことは後から知った。空腹を満たすためにどんなものも食べた。でも何のために生きるのかは分からなかった。

 

ある日、冬眠から起きだしたクマを殺し、その近くで気を失った人間を抱えて森を歩いているとその仲間たちに襲われ、気が付くと鎖に縛られていた。

 

場面は場末の闘技場へと移る。愛に泣いて金に狂う男たちの最後の砦ともいうべき無法地帯。暴力と金が支配するこの世界で怪物は商品に仕立て上げられ、日々無意味な戦いを強要された。

 

ある日金貸しのフェルナンドから闘技場を賭けた決闘を挑まれたエヴァとジャックは、怪物を出場させれば勝てると確信していたのだった。


愛に泣いてェ!!!

金に狂ゥゥゥ!!!!

(熱唱)


それまで控えめなモノトーンで描かれてきた世界が突如ギラギラと煌めき色を纏う。艶やかで妖しいステージに釘付けになる観客はまさに今、己の欲望と対峙せざるを得ない。


1幕の慈愛に満ちたエレンとは真逆の女主人エヴァとして登場するのは露崎春女さん。1回目の観劇のあと真っ先にお名前を検索し、これが初舞台だと知って驚愕したのを覚えている。それほどに魅力的なキャラクターであり圧倒されるパフォーマンス。これからも色々なミュージカルで拝見したいと思わされた。


そしてエヴァの夫であるジャックは中川さん柿澤さんの解釈の違いがビクターよりも如実に表れていて、毎回見るのが楽しみだった。

 

中川さんのジャックは如何にも小人物といった風情でエヴァの尻に敷かれ、彼女のお気に召すまま、機嫌を損なわないよう必死で怪物を痛めつける。


対する柿澤ジャックはとにかくやばい(やばい)。歪んだ快楽と底知れぬ暴力性に塗れた狂気の権化である。「玩具ってそういう意味~~~~~~~!?!?」と何度日生で叫びそうになったことか。


闘技場を取り巻く世界は舞台上での「現在」と表裏一体になって描かれる。「ただの男」であるビクターと中川ジャック、「狂気の創造主」であるビクターと柿澤ジャック、それぞれがそれぞれシンメトリックに表現されていたというのは考えすぎだろうか。


城を飛び出した怪物が追われる場面は悲哀に満ちて胸が締め付けられたが、奥行を使い距離感とスピード感を表す舞台表現がとても好きだった。

 

何もわからず飛び出して走った怪物は掴んだものを食べる、つまり腹を満たし生きていくことを選ぶ。それは生き物としての生存本能なのか、それともこのときには生きて復讐するという目標が芽生えていたのか。いずれにしろ、望まれて生まれさっきまで無邪気に笑っていた生き物が経験するにはあまりに凄惨な現実である。


決闘前夜、戦う相手にとどめを刺さない怪物に業を煮やしたジャックはこれまで以上の暴力で「化け物」を従わせようとする。ボロボロになった怪物のそばを通りかかったのはクマから命を救った下女カトリーヌだった。カトリーヌが助けてもらったお礼を言い、挨拶をすると、怪物はたどたどしく言葉を発する。

 

「怖くないのか?人間じゃないのに」と恐る恐る問いかける怪物に「人間じゃないから怖くない」と応えるカトリーヌもまた、人間に、世界に絶望しているのだった。


欲望のない平和な北極へ行こう、と心を通わせるふたりのもとにエヴァとジャックがやってくる。怪物と引き裂かれ惨い仕打ちを受けるカトリーヌ。そこに聞こえてきたのは「自由が欲しいか?」という声だった。


逃げ出した後の怪物が唯一笑顔を見せるシーン。それが更なる悲劇の引き金となるとは知らず、心を通わせるふたりは世界への絶望によって共鳴する。人のいない、欲望のない理想郷(クマは居る)に行きたいと目を輝かせる姿は微笑ましいものの、この笑顔がどれだけの悲しみの上に咲いたものかを考えると胸が締め付けられる。


怪物としての和樹さんの歌声は、アンリと一線を画すフィジカル的な意味での力強さを感じた。もちろんビジュアルや他の要素も相まってだが、体の大きさや知性レベルまで伝わってくる声の表現力にはやはり脱帽しかない。そしてカトリーヌの胸に顔を埋める怪物は赤ちゃんだった(赤ちゃんだった)。


怪物に毒を盛れば自由を与えるというフェルナンドの言葉に怯えるカトリーヌ。辛いだけの人生に終止符を打つべく自ら毒を飲もうとするが、自由を得て人として認められる可能性に気付きその目が光る。


案の定決闘で力を発揮できなかった怪物は惨敗。ジャックに前夜のことを暴かれ、フェルナンドにも裏切られたカトリーヌはこの世の地獄を味わいながら死んでいくこととなる。うち捨てられた怪物は諦めと悲しみの中、闘技場に火を放った。


なんといってもカトリーヌを生き抜く音月さんが素晴らしく、綺麗さを捨ててもとにかく力強く響く歌声に心打たれる場面。凄惨な暴力の末に自分の運命を嘲笑する姿、近づいてきた知らない男に怯える顔、心優しい怪物に毒を盛ることへの逡巡と唯一の可能性に賭けられるかもと光る目の奥、全てが恐ろしいまでのオーラに満ちていた。


カトリーヌはきっと悪女ではない。ただ愛に触れられず運命に呪われた憐れな少女だった。環境や周りからの愛に恵まれ清らかに育ったジュリアとカトリーヌの本質に、どんな違いがあったというのだろう。


カトリーヌから毒入りの水を受け取る怪物は鎖に繋がれ檻に閉じ込められながらも、彼女が来てくれたことに喜びその腕に優しく触れる。おそらくは体調に異変をきたしてからも彼女のことは露程も疑わなかったのだろう。決闘で打ちのめされカトリーヌに「そんな目で見ないで!」と言われる目は虚ろでありながらも温かく、その一方で悲しみと諦めを滲ませているようだった。

 

ただひとり信じられると思った人にたったひとつの希望を裏切られた悲しみ。また信じてしまった。この世で誰一人信じてはいけないと学んできた筈なのに。


壊れた怪物をもう返品もできないとうち捨てるジャックに「また新しいのを探せば良いさ」と笑顔で告げるエヴァ


「怪物は、何処にだっているよ」


という台詞はおそらく2幕の、いや全体を通しても随一の見所である。怪物は、と言ったあとエヴァは手に持ったナイフで上から下まで明らかに客席を指し示している。


この地獄のような光景は本当に別世界の出来事なのか?

それを眺める自分の心に「怪物」がいないと誰が言い切れるのか?


ふたつの時空が表裏一体に描かれるからこそ、エヴァの台詞は殊更胸に刺さる。フランケンシュタインならではの面白さが詰まったシーンだった。


森で捜索を続けるビクターとジュリアのもとにステファンが見つかったと一報が入る。しかし見つかったステファンは腹を刺されており、そのそばには財産目録を手にしたエレンが倒れていた。民たちは弁明も聞かず、財産目当てに叔父を殺害した罪でエレンを絞首刑に処す。


ビクターが失意の中で回想する過去。そこにはいつも優しく見守り抱きしめてくれた、もう届かない姉の姿があった。


姉の死体を背負いまたしても城に連れ帰るビクター。しかし研究施設は破壊され、エレンを生き返らせることはできなかった。そこに現れる怪物。また同じことを繰り返すのかと詰め寄る語気は荒い。復讐ならば今ここで殺してくれと懇願するビクターに聞く耳を持たない怪物は、同じ苦しみを味わわせるという呪いの言葉を残して立ち去った。


やはり民衆の中に眠る暴力性こそが最も恐ろしいと実感するエレンの処刑シーン。呪われた一族の生き残りである彼女を処刑することに躊躇う人間はいない。恐ろしい魔女狩り騒動のあと、留学に旅立つ弟を励まし、唯一の肉親として優しく抱きしめてくれたエレン。


回想の中に潜る大人の姿のビクターがぎゅっと抱きしめてもらおうとしてすれ違うシーンは涙無しには見られなかった。「僕の気持ちなんて分かろうともしない」と反発することの多かったビクターだが、姉の愛に気付いていたからこその甘えだったのかもしれない。(今思うとこれだけ人生を懸けて愛情を捧げてきたビクターのことを「愛を知らず育った」と形容しなければいけなかったエレンの気持ちたるや・・・)


喪失を神の呪いと呼ぶのなら、生命を取り戻す営みはすなわち神への挑戦である。しかしその結果生み出された怪物が神もろとも創造主を憎むのは必然だった。


アンリとの夢だった研究は続けられず姉の命を取り戻すこともできないビクターの殺してくれという懇願は悲痛なまでの苦しみに満ちていたが、怪物はまだこんなものではないと淡々と告げる。激しい感情であるはずの憎しみすら怪物の中ではあまりに当然のものとして粛々と存在しているのだと思うと、やりきれない気持ちでいっぱいだった。


ビクターは傭兵を雇い怪物の再来に備えた。ジュリアが怖いと告げたのは怪物の襲来か、それとも怪物退治に躍起になる夫のことか。緊張が高まる中、銃声が鳴り響く。駆けつけたビクターが目にしたのは、血塗れで横たわるジュリアだった。


傭兵に扮した怪物は最愛の妻を失ったビクターを残して部屋を出る。殺したければ北極へ来いと言い残して。もう戻らない大切な人たちを悼むビクターは、悲しみに暮れるただの男だった。


ジュリアが殺害された後のビクターがとても印象的なシーン。傭兵に扮した怪物が部屋を歩き回ると呼応するように血塗れのジュリアに覆い被さり守ろうとする柿澤ビクター。ベッドに腰掛けてジュリアに触れないようにしているのにベッドごとジュリアがハケる瞬間に握った手が離れていく中川ビクター。


柿澤ビクターの左手とジュリアの左手に同じ指輪が輝くのも、中川ビクターの右手とジュリアの右手がふわりと離れる瞬間も、とても美しく記憶に残っている。


星が瞬き、不思議な時が流れる空間。怪物は迷子と出会い、「星になりたかった友達」の話を聞かせる。


時空が交差するフランケンシュタインの舞台空間の中でも、ひときわ不思議な空気が流れる場面。時間軸をそのままに捉えればジュリアを殺して北極に行くまでのシーンだが、「すべてが終わった後」という解釈があると知ったときは震えてしまった。そう言われれば北極のことも過去形で歌っている。もしかしてもしかして、怪物は生き残って彷徨っている・・・?


この件に関してはあきかず東京千秋楽のことを書き残しておきたい。もしかすると私がそのときたまたま気付いただけかもしれないし、そうではないかもしれないけれど。

 

迷子の首を絞めて追い返し、一人になった後、北極に続く階段を上る前。舞台の前方に進み出た怪物は、首を回すような勢いで傾け、その瞬間に目が少しだけ曇った。迷子と話していたときより、少しだけ知性レベルが落ちた気がした。


これは、まさか、時を戻す仕草・・・・・・?


もちろん、幻覚受容体ガバガバおたくこと私の見た光景なので、信用に値するとは言い難い。だけど、もしかしたら。そう思わせてもらえることがなんとも幸せだった。


北極に辿りついた怪物。息も絶え絶えに後を追ってきたのはビクターだった。三日月の下で対峙するふたり。怪物が生まれたあの日と同じようにビクターは引き金をひき、その「復讐」は果たされたのだった。


幾重にも折り重なった愛憎が決着を見るラストシーン。

しかしその結末は回によって、見る者によって全く違う色を放つ。

 

ある日はしんしんと雪の降りしきる中ふたりが静かに息絶える光景が、ある日は更なる神への挑戦状を叩き付けるふたりの光景が、はっきりと舞台に浮かび上がった。


ミュージカル「フランケンシュタイン」が与えてくれたのは、どこか不思議でこれまでに感じたことのないような、豊かな観劇体験だった。


怪物の中にはアンリがいたのか。
ビクターは怪物の中にアンリを見たのか。

 

確かに凄惨なシーンの連続だった。

結末では誰もいなくなった。


でも私はビクターに首を預け腕の中で横たわる怪物の姿を、バッドエンドと名付けることはできなかった。ずっと孤独だったふたつの魂が世界の果てでひとつになる光景を、不幸と呼ぶことはできなかった。


これを幻覚と笑われるのならそれでもいい。ふたりが手に入れた永遠を、せめて幸福と呼ばせて欲しいと願うのは罪だろうか。


あきかず東京千秋楽。
カーテンコールで挨拶した主演のふたりは口を揃えて「この悲劇的な物語のどこかに希望を見出してもらえたら」と言った。悲劇を見せることがこの舞台の主題ではない。人間の愚かさを嘲笑うことも恐らく目的ではない。


この物語の何処かに自分が存在していたかもしれない。それは孤独な一人の男かもしれない。弟に愛を注ぐ姉かもしれない。魔女を殺せ、犯罪者を殺せと騒ぎ立てる民衆かもしれない。

 

それぞれの生命をどう生き抜くか。

生命とは何か。人生とは何か。

 

舞台上で死んでいった多くの命に、

それを見つけることを強く求められている気がした。

 


だって死ぬということは、

生きたということなのだから。