星の彼方 雲の隙間

声が届かなくても想ってるよ

流した涙と引き換えに

 

 

「また曲がり角で逢えるよ、絶対」


そう言って5人が白い光の中へ去っていった日のことを、1日だって忘れたことはなかった。武道館のWhiteも有明のnothingも、信じると誓ったbelieveも。


だけど。
それでも。


その後の彼らのすべてを受け入れられた訳ではなかった。忘れようとした日も、諦めて思い出にしてしまおうとした日も本当はあった。


充くんの誕生日が来るたびに、
あの夏は遠ざかって自分の弱さを知った。


大好きだった曲たちが聴けなくなった。

「青春」が色褪せて、

自分の血が錆びていくのが分かった。


それほど愛していた。
それほど大切だった。


もちろん私はクソDD多趣味なのでアイドルや舞台や綺麗なjpgやいろいろなエンターテインメントに力を貰っていたし、幸いなことに大病するでもなく精神を患うわけでもなく過ごしていた。


でもどんなバンドも音楽も、5人の穴だけは埋められなかった。だって彼らは私にとってバンドでも音楽でもなく、「SOPHIA」でしかなかったから。

 

 


2022年3月27日。
充くんとジルくんのバンドが活動を休止することはなんとなく知っていた。最初のころは現場にも行っていたから少し寂しい気持ちもあったし、なによりこの事実が何を意味するのかとても不安だった。


でも、いつものようにTwitterを眺めていた私の目には信じられない文字が飛び込んできた。


SOPHIA」9年ぶりに再始動!
「旗は降ろさない」ファンに約束した武道館で10月11日に復活ライブ

https://www.chunichi.co.jp/article/442262

 

 

涙が止まらなかった。


息ができなくなるほどに泣いてから、ずっとこんな風に呼吸がしたかったんだと気付いた。武道館に行くことは日程を確認する前に決めたし、バラバラになっていた曲を集めようとその日のうちに再びCDを取り込んだ。

 

帰ってくる、私の青春が。


それからの半年はあっという間だった。ライブビューイングや配信が決まり、FC企画ではSNSでの消息確認が難しかったジルくんと黒ちゃんの動画企画が始まった。トモくんと都くんがYouTubeチャンネルを立ち上げたり、表立った活動から離れていた黒柳能生さんが突如Twitterとインスタとnoteを開設したり、まさかのMステ出演もあった。テレビに映る5人は互いに笑っていて、それを見た私は泣いていた。


それでもまだどこか実感が湧かないうちに、

当日はやってきてしまった。


早々に会社を退勤して約束の場所へ向かう。昼過ぎの九段下構内には既に、向日葵が咲いていた。みんなが嬉しそうで、でもどこか泣きそうな顔で。本当に戻ってきたと実感したのはこの時かもしれない。


段々と日が落ちて、「約束」の扉が開かれる。会場いっぱいに詰め掛けた全員が、それを果たすためにやってきていた。

 

 

開演時間も8分を過ぎた頃。

 

前日から乱れに乱れていた精神を統一するために下を向いて目を瞑っていた私の耳に、漏れ出るような歓声が聞こえた。慌てて目を開けると、暗転した客席でフラッシュのようにLEDライトが灯されている。

 

そして始まったあの曲。

夢にまで見た、「愛の讃歌」のイントロ

 

本当に、本当にあの空間が戻ってきた。

体の震えを止めることができなかった。

 

モニターに映し出されたのは、9年前充くんが「降ろさない」と誓ってくれたSOPHIAの旗。過去のライブ写真が次々に流れ、あの日々が確かに存在したことを確かめ合うように会場がひとつになっていく。

 

最後の武道館の向日葵階段が映った次の瞬間

 

Yoshitomo Akamatsu

 

Keiichi Miyako

 

Yoshio Kuroyanagi

 

Kazutaka Toyota

 

ひとりひとりが自分の足で光の中から帰ってきた。手を振ってみたり、投げキスしてみたり、深々とお辞儀したり。シルエットしか見えないのにあの頃と変わらない大好きな4人。


01. 大切なもの

4人が位置につくと、トモくんの力強いリズムがSOPHIAの新しい鼓動を刻み始める。すかさずクラップで応える客席。黒ちゃんが9年ぶりにステージで鳴らす優しいベースのフレーズが重なったとき、1曲目の輪郭が確信に変わった。

 

都くんのキーボード、ジルくんのギターが重なる。お馴染みのイントロが始まると「Mitsuru Matsuoka」の文字が浮かび上がりついに5人がステージに揃う。360度ぐるりと客席を見まわした充くんは、何も言わずそのまま歌いはじめた。

 

“失くしたくなかったものはどんなものだっけ”

 

それを思い出すために、

取り戻すために帰ってきたんだよ。

どうしても諦めきれなかったから。

 

一瞬の静寂を挟んでからのアウトロ。

充くんが叫び始める。

 

9年間、

9年間もの長い間、

みんなのことを待たせたけど、

俺たち5人ずっと離れてたけど

 

5人ひとりひとり、ひとりひとり、

それぞれの現実に向き合ってた

それぞれ歯を食いしばって必死に生きてた

 

ここにいる、全員そうだろ?

 

ただいま!!!!!

 

9年間のすべてを一瞬で肯定されてしまった。私たちにいろいろな想いを抱えながらの生活があったように、彼らも生きてきた。特に4人は表に出る人たちだから言えることも言えないこともあっただろうけど、みんなどこかでこうやって再会する日を夢見て現実と対峙してきたのだと、実感として理解できた。

 

ああ、この人たちはいつもそうだったな。

私たちと共に生きてくれる、現実と闘ってくれる。

大切なものはやっぱり、此処にあった。


02. Early summer rain

アウトロの中でカウントが鳴り響く。大好きだった5月の雨が、青く輝く銀テープになって私たちを濡らした。

 

“切なさも流れてゆけ”

 

湿っぽいのはもう終わりとばかりにステージに笑顔が咲く。そうだった、私たちは此処へ、笑いにきたんだよね。ひとつになりたくて、もう抱えきれない想いを届けたくて、必死に腕を振った。


03. ゴキゲン鳥 crawler is crazy

怒涛の展開で早くも来てしまった大名曲。

LEDライトは三原色に煌めき都くんのLポーズが妖しく光る。

 

縦横無尽にキレキレのパフォーマンスを見せる充くんは中指を立て、今も昔も変わらない社会の不条理に唾を吐く。色褪せない名曲なんて綺麗な言葉じゃ言い表せない、普遍的な怒りが不思議とエネルギーに変わる曲だった。そう、感じたかったのはこんなパワーだ。


04. 君と揺れていたい

ゴキゲン鳥が終わるとリハ中と思しきインタビュー映像が流れる。

 

「この9年間SOPHIAのことを一瞬でも考えたか?」という問いに「一瞬どころじゃない」と口を揃える5人。復活ライブが急に決まって大失敗する夢に魘されたトモジル黒の3人も、何故か気恥ずかしい都くんもなんだか可愛くて。

 

端々から感じた、私たちと同じように会えない間もSOPHIAという場所を愛していたというメッセージは、次のイントロで確信に変わった。

 

“いつもいつの日も風に吹かれて君と揺れていたい”

 

私はこの曲を超えるラブソングを知らない。傷付け傷付いても、生まれ変わったとしても共に。その愛は9年の時を経ても互いに変わらないのだと、痛い程に思い知らされてしまった。

 

05. Eternal Flame

暗転が明けると都くんに当たるスポットライト。一本の映画ほどのストーリーを感じるピアノソロはいつしか耳慣れたイントロへと展開する。

 

黒ちゃんの新しいベースは華奢に見えるのにとんでもない安心感をくれて、胸が締め付けられた。この音が聴きたかった、ずっと。貴方のベースなしで生きていけるほど、私はまだ強くない。帰ってきてくれてありがとう。その心で静かに燃える炎を、また見せてくれてありがとうね。

 

06. Like forever

時計の音とともにテキストで表示される過去の様々な出来事。彼らがデビューした1995年は日本の現代史に刻まれた年であり、中でも4人の故郷である関西は大震災によって絶望的なまでに破壊されてしまった。それでも街は復興を遂げ、都くんはステージ4の癌から見事に復活した。そして誰もが打ちひしがれた東日本大震災の2年後、まだ復興したとはいえない内に、5人の時計は止まった。

 

それから7年が過ぎた2020年、疫病の世界的流行で彼らは復活への想いを強くする。

 

いつもそうだった。彼らはいつだって望みを絶たれた状況に寄り添って、希望を込めて、それを復興への力にしてきた。そうやって何度も立ち上がる人間の強さを、私たちは幾度となく目の当たりにした。

 

何処までも優しい旋律とジルくんも加わったハーモニー。何度だって立ち上がる希望を思い出させてくれる美しい笑顔。如何ともし難い現状を、それでも諦めなければ変えられるかもしれないと信じるのにはそれだけで充分だった。


07. ALIVE

薄暗いライトで照らされたジルくんの抒情的なフレーズから、ステージには炎が揺らめき、語り掛けるように歌いだす充くん。照明の一切ない炎だけのステージで歌うその表情は見えなくて、その分その震えたような声と息遣いが直接的に胸に迫る。

 

“ひとりで生きていこう誰にも頼らないで”

“それができるなら向日葵は枯れない”

 

花はいつか枯れることを私たちは知っている。でも長い冬を超えて、また咲かせることもできるのだと、そのぬくもりをくれたのは紛れもなく貴方達の心なのだと、どれだけこの手を叩いたら伝えることができるだろうか。

 

08. 蜘蛛と蝙蝠

武道館にセットができるまでのタイムラプスから、会場に集まったファンの姿、そしてまた5人のインタビューが流れる。SOPHIAのギタリストとして生まれてきたことを光栄に思ってる」「これが最後かなって、そのくらいの気持ちでいないとダメかな」「ひとつひとつにケリを付けていく」、もはや一本のライブに向けた意気込みではなく人生について語る姿は、重ねた時の大きさを感じるには充分すぎるほどで。

 

でも次に流れてきたのは、選びながら迷いながら暗闇の中でも進もうとする勇気を歌ったこの曲だった。そう、彼らの持つ覚悟は元に戻る為ではなく、前に進む為にあった。9年前とは何もかもが変わってしまったこの世界で、もう一度飛ぼうとする為の勇気を確かめ合うように、私たちは聞こえない歌を届け、5人はしっかりとそれを聴いてくれた。

 


09. 黒いブーツ ~oh my friend~

「心の中で歌ってくれよ!」

 

そんな咆哮から始まるにはあまりにポップなイントロ。淡々と歌われる「お前」との友情は決して綺麗な思い出なんかじゃなく、だけど永遠に失われたかけがえのない日々で。

 

切なくて虚しくて、生きることの耐えられない軽さに涙が零れないように、私たちはサビを踊る。誰かが見たら滑稽なそれが、私たちの生きる術だから。


10. ビューティフル

休止期間中に聴けた彼らの曲は数曲しかないけれど、この曲には何度救ってもらったか分からない。

 

“過ぎたことばかりが何故眩しく見えるのかな”

“冷たい部屋のベッドで一人訳もなく泣けた夜 心の中身を少しだけ捨てた”

 

前に進むとか未来へとか大層な言葉で飾らない、疲れて家路を辿る日々でしか辿り着かない「その先」。それを美しいということができるのがSOPHIAというバンドだった。愛も夢も勤労もすべてが生きることで、だからこそもれなく美しい。

 

11. ヒマワリ

再びリハ映像へ。MCの順番決めでわちゃわちゃする楽しそうなおじさんたち

 

①ジル:時空を超えて青春しようぜ

②都:お待たせしました、声は聞こえてます、コンタクト作りました

③充:コルベット燃えて叩かれた、修理間に合わなかったので1年後に武道館やる

④黒:優しさと可愛さでできてる、猫かわいい

⑤トモ:燃やそか?俺のドラム

 

一通りのわちゃわちゃコルベット漫談MCが終わるとトモくんに曲振りを頼む充くん。おもむろにドラムセットの横に飾られた向日葵を取り出し「みんな持ってきてますか?」尋ねるトモ、色めき立つ客席。

 

「ここに咲く!!!鈴蘭たちに贈ります!!!!」

 

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

どんな気持ちでこれ抱えてきたと思ってんねん大概にせぇよ(すき)ww

 

気を取り直して充くんから夏目雅子ひまわり基金への協力の御礼が述べられる頃には武道館は一面の向日葵畑。「この景色がずーっと見たかったです、9年間。みんなもそうやと思います。」という言葉のしみじみしたトーンは黄色い世界の中で一層切なく胸に響いて涙が零れそうで。

 

“風に揺れるヒマワリあの頃のままだね”

 

5人とも少しだけ泣きそうな優しい顔をしていて、笑顔見せてって言ってるのがどっちか分からないぐらいだったけど、私たちも大概泣きそうだったからいいよね?


12. KURU KURU

アウトロの余韻の中トモくんのドラムソロが聞こえたらもう楽しい以外の感情がなくなってしまった。頭を空っぽにしてLEDが光る腕を全力で回したらもう何もいらなくて、会えなかった時間が、胸の隙間が埋まっていく。

 

泣いて笑って、失くしたくない大切なときめきを抱える日々を取り戻して、くるくると踊るように。そんな風にこの先も生きていけたら。


13. little cloud

「正直、3,4年過ぎた後、もうないなと思いました」

 

それぞれのメンバーとの出会いから(黒ちゃんとの出会いはアフトで語ってくれたよ)、19年間走り抜けた話、活動休止を決めて、本当は2,3年で終わると思っていたのにそうはいかず苦しかった話。いくら正しくても真っすぐでも届かないことはある。諦めて吐き捨てれば楽だけど、まだそうじゃないって信じて生きていたいよね。

 

充くんの想いがとめどなく溢れるMC。向日葵畑を見ていま世界で起きている悲劇にまで思いを馳せて、その優しさで敵だと思っている人を抱きしめてほしいと伝える顔はほとんど泣いていて。

 

ここに集まってまた旅立っていくみんなへ、と捧げられたlittle cloudはどこまでも優しく澄んでいて、すれ違いだらけのこの星で出会ってこの日また集まることができた奇跡を感じずにはいられなかった。

 

14. cod-E 〜Eの暗号〜

都くんが復帰して最初にリリースされたこの曲。過去の様々なフレーズが鏤められた歌詞と力強いサウンドが逞しく響いて、レーザーが激しく点滅しながら真っ直ぐに伸びる。

 

“明日が欲しくて目指す「この」場所で”

 

充くんが強い眼差しで指さしてくれたのは確かにこの場所だった。休止が発表されてからの10年、ずっとずっと明日が欲しかった。目指すべき明日を、5人が「今日」に変えてくれた。もう何も怖くない。


15.- 僕はここにいる-

何かを失ったとき、誰かに裏切られたとき、傷付き逃げ出したくなったとき、私たちは必ずこの曲に救われてきた。残酷に過ぎていく時の中で自分さえ見失っても、立ち上がってはじめからやってみればいい。後ろには確かに超えてきた壁があるし、失くしたものなんて大したもんじゃない。

 

夢のような再会。この時間はもうすぐ終わるけれど、僕も君もお前もみんなここにいる。その事実だけは離さない。

 

ところで配信だとあまり分からないけどこの曲のドラムめちゃめちゃ良かったよね?あまりの優しさと力強さに泣いてしまった。トモくんの音は前から好きだったけど、9年の時を経てもっと深くもっとキレ良く、寄り添うだけじゃなく時には先陣切って引っ張るように、すっかり大人のドラムになっていてドキドキしました。


16. 夢

「振り返る話ばっかりになっちゃうけど許してくださいねこんな日は」

 

男性ファンが最初はライブに行きづらそうだったけど今日はたくさん来てくれて嬉しいという話(私は両隣が男性でした)から、ファンも20年経って責任ある立場になってきたよね、あの頃はライブ代を捻出するのも大変だったよねという流れからEternalシート(30,000円也)の話に。

 

何が言いたいかというと、

あの頃はお金も無かったやろけど、

今あるやろ?今あるやん

まあまあ貯め込んどるやん

(爆笑するメンバー)

やったな!みんな頑張ったな!

 

充くんが楽しくなってMCの収集が付かなくなるのだぁいすき。ともあれ「5人でまたこの曲ができるのはすごくすごく嬉しいです」と始まったこの曲。

 

“見たいものは光じゃない見せたいのは傷じゃない”

“俺たちを今も突き動かす夢”

 

ガキだったどうしようもない自分に向けて、今も光を浴びて叫び続ける5人。転がる石ころを標榜するロックンロールバンドはぶつかり合って丸くなっていくところにその本質があるのだと教えてくれたこの曲は、時が経つほどに丸く優しく、でも尖っていたころの煌めきが瞼の裏にチラつくような魅力を増していく。

 

あ、だいぶ苦しそうだったのに原キーで歌ってくれた充くんとあの頃のままの歌詞で歌ってくれたジルくん都くんトモくんには感謝なんだけど、お家で猫が待ってる人は一回そこに正座してもらっていいですか?(すきです)

 

17. 街

この9年間も聴いていた数少ない曲のひとつで、一人でカラオケに行ったら必ず歌ってた。でも、このタイミングでトモくんの印象的なフレーズが聞こえたときの高揚はとても言葉で言い表せるものじゃなくて。

 

“見えないものに向かうとき人は誰も孤独”

“嗚呼泣かないで君を悲しませるもの悲しませる僕を消せるときまで”

 

“そして僕らも みんなを連れて”

 

ずっと待ってたよ、この街で。見えないものに向かうとき、泣きそうなとき、この曲に力を貰いながらずっと。孤独なひとりひとりが、それでもこうして一隻の船に乗り合って互いを受け入れるこの瞬間を。

 

18. エンドロール

ズルい。この流れはズルすぎる。

 

私は大名盤Weが大好きで、聴いてた時期も時期なので個人的な思い出とも紐づいているんだけど、中でもこの曲には本当に何度勇気づけられて何度泣かされたか分からない。

 

“僕たちは恐れない共に泣いて笑った日のことを忘れない限り”

“流れないエンドロール幕が下りても鳴り止まない拍手を胸に刻んで”

 

忘れることなんてできなかったから、このままエンドロールなんて流したくなかったから、今日に辿り着いてまた一緒に笑って泣いて。この頃にはもうステージも客席も関係なくて、ただただひとつに溶け合うように何もかもを抱き締めあうだけの空間だったね。

 

19. Thank you

「こんな変わり者バンドを支えてくれてありがとう」

「なんど言っても言い足りないから曲で心から感謝したいと思います」

 

そんな前振りから流れ始めたのは優しくて綺麗なThank youのイントロ。4人の演奏もどこか泣いているように響いて、大きなミラーボールが眩い光をゆっくりと空間全体に広げる。

 

“僕らも大人になって誰かの親にもなってやがて土になろう”

“そして小さくとも花を咲かせられたらやっと誰かの涙止めて”

 

“使い古しの言葉 ありがとう”

 

私はこのふたつのフレーズに衝撃を受けてSOPHIAを知った。あの頃はまだ幼くてよく分からなかったけど、どれだけ言葉を尽くしてもその5文字でしか伝えられない想いがあること、今なら分かる。土に還ったあとでせめて、誰かの涙を止められたらと思う。

 

そんな優しさを、感謝を教えてくれたのは、やっぱりSOPHIAなんだよ。どんなに書き殴っても伝わらないけど、心からありがとう


20. Kissing blue memories

「手叩くのも疲れるよな、痛いよな」

「苦しいのに久しぶりなのに、歌いたいのに我慢してくれてありがとうね」

「みんなの声は本当に聞こえてるよ、本当に」

 

「煽るけど、声は出さないでください笑」

 

リリース順でいえばデビューしたSOPHIAの始まりの曲。何回も何回も、飽きるほど愛し合うために奏でてきた曲。振付と合いの手のダサさに最初は衝撃を受けたけど、今では重ねた時間を感じる大好きな曲。

 

黒ちゃんの猫ベースが可愛い顔してゴリッゴリの最高ソロを奏でると(あとこの曲のどこか映らないところでこのひと天に向かって投げチュしてたんですけど脳が爆発してタイミングを覚えてないので誰か教えてください)、ショルキーでセットを飛び出した都くんがセンターに立ちジルくんとハモる。

 

いわゆる落ちサビ、いつもなら客席に歌わせてくれるところ。9年前の武道館で、私たちが大声で歌うのをジルくんと黒ちゃんが向日葵階段の下で耳を澄ませて聴いてくれたところ。

 

聞こえてるか?

 

俺の声は聞こえてんのか?

 

聞こえてんのか!!!!

 

涙の笑顔で、あらん限りの力を込めて手を叩くSOPHIAns。終わらない約束を果たすために、5人の音を聴くためだけに集まったSOPHIAns。声が出せなくても諦めたりしないよ、本当に届けたかったから。

 

21. Believe

全ての始まりの曲。行先も見えない航海を「信じる」ことから始まった5人の旅路。ひとりひとりの仲間と出会って、迷う日も立ち止まる日も悲しい別れもあったけれど、いつも明日を信じ続けたから辿り着いた今日。

 

ジルくんの勇気と希望と確信に溢れたフレーズが響くと同時に、再び歩き始めたその道を照らすように、客席もステージもすべてが明るく光って何もかもがひとつになって、もう言葉はいらなかった。

 

最後の力を振り絞って縦横無尽にステージを駆け回る充くんがドラムセットの後ろに上がってトモくんの肩を抱いたのは2番のこと。少し驚いたように破顔したトモくん。そのまま肩をポンポンと叩きながら充くんが歌ったのは「凍えそうなLonely nightsもう要らない」という言葉で、その歌詞の持つ意味があまりに大きすぎて。

 

ずっとSOPHIAしか知らなかった末っ子のトモくんが、あのとき何を考えてどう決断してそれを変容させていったか、全て見ていた訳ではないけれど。寂しかったよね。辛かったよね。こんな未来に連れてきてくれたのはトモくんだと思ってるよ。本当にありがとうね。

 

“流した涙と引き換えに”

 

あげよう

 

溢れる

 

この想いすべて

 

泣いてたのは私たちだけじゃなかった。寂しいと思ってくれてた。会いたいと思ってくれてた。分かっていたつもりだったけど、どこかで期待しないように押し込めてた。でもこんなライブ見せられたらさ。少し自惚れてもいいかなって思っちゃうよ。

 

終了予定をおそらく大幅に過ぎたであろう21時半(能生さんのnoteは21時に予約投稿されてた)。すべての曲を伝え終えた5人は一言ずつの挨拶のあと手を繋いで一礼し、9年2ヵ月ぶりのライブは幕を閉じた。

 

最後の最後、一礼の後に抱き合う充くんと都くん。そこに加わるジルくん。それに気付いたもののすぐに加わらず、下手に水を飲みにいった黒ちゃんを輪の中に連れてくるトモくん。ずっとずっと見たかった光景。歩みを止めるためじゃなくて、歩き出すためにまたひとつになる5人。

 

そうして全員が客席に手を振ってハケた後。

モニターに映し出されたのは未来の日付だった。

 

2023年1月8日(日)

大阪城ホール

SOPHIA LIVE2023

“return to OSAKA”

 

思わず我慢しつづけていた筈の歓声が沸き起こる。信じられない。次の約束まで用意しているなんて。昔みたいにはできないって、これからは自分たちのペースでやるよって言ってたクセに。ズルいよ。だいすき。

 

活動休止が発表された夜、もう聴力なんてあっても仕方ないと思って耳を壊すほどの大音量で「未来大人宣言」を聴いた。月光のフレーズで泣いて泣いて泣き腫らして、まだ残っていたツアーに向かえるかどうかも分からなくなった。

 

3人で新たなバンドが始まった時、そこから脱退者が出た時、別のバンドが立ち上がった時、お店を始めたと聞いた時、もうダメかもしれないと思った。4年が過ぎ5年が過ぎ、このまま待つことで傷付くのが辛くなってしまった。

 

でも生きていたらこんな日が来ることもあるって、また5人は教えてくれた。星の数ほどある曲がり角のひとつで、奇跡のようにまた全員が出会えた。嘘みたいで夢みたいで、だけど確かに向日葵は咲いた

 

アフタートークでは謎のテンションでフワフワ喋るジルくんに黒ちゃんのツッコミが炸裂したり、開演前の記者会見で一般人代表として黒ちゃんが注目を集めたり(シルエットで出てきた瞬間にターンしながら投げチュする一般人が居てたまるか)、スポーツ紙の芸能面に大きく取り上げられたり、待ち望んだ逢瀬も終わってみれば一瞬で。だからこそ、次の約束がすごくすごく嬉しくて。

 

悲劇の絶えない世界で、理不尽な馬鹿げた社会で。それでも誰かを信じ愛することを、たとえ他人に嗤われようと諦めなくて良いんだ、って教えてくれるのが私にとってのあの空間だった。

 

やっと、やっと呼吸ができたよ。

たくさん笑わせてくれて、一緒に泣いてくれてありがとう。

 

寂しくて悲しくて

息ができなかった9年2ヵ月。

でも大丈夫。

これからは一緒だから。

 

夢に向かって叫び続けよう。

歩き続けよう。

大切なものを信じて。

 

 

 

 

悲しみの夜でも感じ続けるよ

宇宙で一番輝く五つ星ことA.B.C-Z

5人に関わったすべての皆様、

デビュー10周年本当におめでとうございます!!!!!

 

いやー、

いつものようにポエム用意してたんですよ。

 

「ありがとう」

「愛してる」

「ずっと一緒に居て」

「いつの日も5人に幸あれ」

たったそれだけのことを手を変え品を変え仕事もしないで書いてました。

 

火曜日という変則発売日の前夜祭となったCDTV。今か今かと放送を待つTLに稲妻のように走った衝撃。

 

発表の後すぐ、5人は一斉に連載を更新してくれました。二人の現状報告とこちらの体調まで気遣うやさしい言葉、三人の二人を慮る気持ちと灯を絶やさない強い意志。

 

本当に優しくて、だからこそ力強くて。

 

「僕も救われたんだよ」って5人はいつも言ってくれるけど、君たちが居るから、だから私はこんな悲しい夜も立っていられるんだよ。

 

5人が5人だから乗り越えられたこと、

たくさん知ってるよ。

悲しみが、悔しさが君たちを強くしてくれたのを

そばで見てきたよ。

 

だから、絶対に乗り越えられる。

 

何の力にもなれないかもしれないけど、

すべてを懸けて祈らせてよ。

 

健やかでありますように、幸せでありますように、夢が叶いますようにって、私たちに祈らせてよ。その先に笑って喜びあえる未来があるなら、どんなことでもさせてよ。

 

そのくらい、愛してるんだよ。

とても返しきれないくらいの愛を

もらってきたんだよ。

 

今日のCDTVのパフォーマンス、10年を3曲に凝縮したメドレー、本当に本当にカッコよかった。あのステージを超えていく10周年が、楽しみすぎてどうしようもないくらい。

 

だからまた笑顔で会える日まで、

この声は取っておくね。

何も心配しないで、

今はただゆっくり祝われてね。

 

これまでの10年とこれからの10年に、

流れ星のように祝福が降り注ぎますように。

 

 

 

 

 

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(なんか消すのももったいないんでポエムも置いときますね)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「堪えた涙も置いてきた夢も形を変えいつか誰かに届け」


彼らの旅路は初めから、自分たちの為だけのものではありませんでした。

 


デビューすることなく辞めていった少年たちの、


今も自分だけの道を探し続ける少年たちの、


アメリカデビューがその手からこぼれ落ちた少年たちの、


本当の気持ちを言い出せぬまま別々の道へ進んだ少年たちの、


そんな彼らの夢に自分を重ねたたくさんの少年少女たちの、


その全ての想いを大切に胸に抱えながら、5人は自分たちの「最高速度」で歩んできました。

 


私たちには決して見せなかったけれど、迷う日も遠回りの日もあったことでしょう。それでも明日の為に、背負った想いの為に、そしてファンの為に、彼らは挫けることなく道なき道を切り拓いてきました。


10年という月日は、5人をより強く、より優しく、より自分らしいアイドルへと変え、気付けばたくさんの仲間たちがこの幸せの国に集いました。きっとこれからも、彼らはひとりひとりと目を合わせ着実に出会っていくことをやめないでしょう。そんなひとつひとつの出会いこそが、この10周年を手繰り寄せました。時を超え星を超えた彼らの旅路は、今日、この場所へと私たちを連れてきてくれたのです。

 


宇宙でいちばん輝く五つ星へ


10年分じゃ足りないくらいの

 

「ありがとう」と「愛してる」を。

 


百年先だってきっと


同じ未来へと手を繋いで。

叶えられるよ僕らは~ジャニーズ伝説 at Imperial Theatre2021~

例年であれば10月からのえび座を楽しみにしている9月末のある日。その一報は突然やってきました。


ジャニーズ伝説 at Imperial Theatre2021


日生劇場日生=星の劇場として5人とファンが大事にしてきた場所でした。ふかふかの絨毯も美しい階段もたまにおじさんが出てくる(って河合くんが言ってた)天井のクレーターも、私たちにとっては秋の季語であり、それぞれがそれぞれに数え切れないほどの思い出を持つ場所です。


それでもいつか、帝国劇場に、日本一の劇場に立つ5人を見たいという思いはいつからか芽生えていました。SHOCKから始まり連綿と続く帝劇ジャニーズ舞台の系譜に、5人が5人で居る意味を問い続けてきたABC座が並ぶ日が来たらどんなに素晴らしいだろうと思っていました。

 

それはまさしく、私の「夢」でした。

 


ジャニーさんが亡くなった2019年以来のジャニーズ伝説は、主演であるA.B.C-Zが演出を担うことが発表されました。自分たちの手でとにかくやってみること、これは劇中でも強調されたジャニーさんの教えです。

 

2018年版が最高傑作だと思っている私は率直に「5人がやるのならどんな結果でも受け止めるし納得できる」と思いましたが、それは今思えば、先回りした言い訳でもありました。


初日の幕が下りたときの衝撃は今でも忘れられません。1ミリでも不安に思った自分が恥ずかしくなるくらい、魂を込め考え抜かれた新しいジャニーズ伝説が、そこにはありました。


本編への導入は7 MEN 侍の苦悩。先輩たちの歩んだ道を自分たちも追い掛けたいけれど、その入り口が何処にあるのか分からないと吐露する6人に、A.B.C-Zの声が穏やかに語りかけます。


「探しているのか」
「ただ探しても見つからないよ」
「道は自分たちで切り開くものだからさ」
「僕たちもそうしてきた」
「はじまりの一歩を見てみないか?」


名もない後輩Jr.ではなく今現在活動する既存ユニットが物語の受け手として描かれることで「自分たちの道を切り開くために」歴史を知る必然性が明確になり、客席は彼らと同じ視点からストーリーへと導かれていきます。

 

過去の事実をただ再現するのではなく、未来のために語り継ぎ受け継いでいくことは2019年から特に意識されているテーマですが、それを更に先鋭化させコントラストを高めた手法は出色の出来映えだったと思います。


また今回はコロナ禍の制約もあり休憩無しの2時間10分という上演時間で、再演というよりは一度壊して再構成する必要がありましたが、これまでの説明台詞やアドリブを削れるだけ削っているのに、むしろ今までより伝えたいポイントが明確に浮かび上がってきたのには本当に驚きました。

 

たとえば物語が始まるワシントンハイツのシーン。これまで芝居で見せていた部分がラップを交えた軽快なナンバーとなりリズミカルに進行していきます。後にも言及される早替えを採り入れたり、4人が加入するとリズムが変わり照明も色鮮やかになっていくなど、説明場面と感じさせないアイデアに満ちていたのが印象的でした。


ここを含めアメリカ行きのシーンなどもそうですが、コンパクトにまとめつつショーアップする手法としてあちこちミュージカルナイズされていたのが、帝劇の怪人こと光一さんのおたくとしても非常に嬉しかったです。


\\ヘターズなんて!もういやだ!!//(発作)


そして特筆すべきは帰国後のシーン。
空港に降り立ったジャニーズがアメリカでレコーディングしたレコードを流すと、記者たちは怒りだし帰ってしまいます。

 

これまでも描かれてきた場面でしたが、ジャニーズの4人に感情移入していた私たちがなんとなく腑に落ちないシーンでもありました。

 

今回はそこに記者たちの「誰が歌っているかも分からないレコードなんて流すより4人のエピソードが聞きたい」という旨の台詞が追加され、さらには7 MEN 侍が「アメリカでレコーディングなんてどう考えても凄いのになんで記者の人たちは帰っちゃったの?」と畳みかけます。

 

時代が追いついていなかったというジャニーさんの返答は淡々としていながらも物寂しく、アメリカでの輝く日々との対比を感じさせました。それを踏まえてのスパイダースとのやり取りでもアメリカ留学を「駄目だよ遊んでちゃ」と言われ、飯野の「誰も真に受けちゃいない」という言葉が重苦しく響きます。

 

この一連の流れがクリアになったことで、あおいが解散という選択肢を選ぶ説得力が段違いになり、「未来の為の解散」という言葉が決して自分たちの心を誤魔化すための台詞ではなかったこともようやく理解できたように思いました。(なお解散シーンのおさみがめちゃめちゃ食い下がるようになったのも大好きなのであれを見ながら2時間呑みたい


さらになんと言っても今回、みんな大好き2018版のラストシーンがパワーアップして帰ってきたことは外せません。

 

ジャニーズの解散を受け入れたジャニーさんのもとにやってくるデヴォーゾン(もしくはアツヒロさん御本人のようにも見えました)。「本当は誰よりああしたいこうしたいと思っているクセに、若い子の気持ちを優先するんだね」と語りかけます。


「僕は若い子たちをサポートするのが生きがいだからね。たとえこの身体が無くなったとしても続けていくよ」


「たとえこの身体がなくなったとしても」。そのフレーズはジャニーさん亡き世界を生きている私たち、そしてジャニーズの一員として舞台に立つ全ての出演者の胸に響きます。2年前にはきっと生々しすぎたこの言葉は、それからも前に進むことをやめなかったジャニーズ事務所の全タレントへの祝福のようですらありました。煌めくあの日のジャニーズとのリハ風景が美しい光の中に消え、物語の本編は終幕します。


はじめは野球がやりたいとすら言い出せなかった4人は、「やっちゃえばいいんだよ」と何度も何度も背中を押され、最後には自分たちの手で未来の為の解散を選び取りました。

 

これは端から見れば悲しい結末だったかもしれないけれど、初めにあおいさんが言った「青春の貴重な汗」がジャニーズの本質だとすれば、ジャニーさんの言うように決して否定することはできない彼らだけの選択でした。


たとえ理解されなかったとしても時代の先を掴みに行くことの意味は必ずある。それを証明し続けるのがフォーリーブス以降の全てのグループの責務であり、「夢と夢を繋げ」の意味するところであるのかもしれません。


さて、今回もうひとつ残しておきたいのは、まさに「伝説のアイドル」光GENJI佐藤アツヒロさんの特別出演です。帝国劇場のジャニーズ舞台において主演の大先輩にあたるジャニーズタレントが特別出演するのは定番ですが、アツヒロさんが帝国劇場の舞台に出演してくださることは少し意外でした。

 

でも今にして思えば、グループの解散を当事者として経験したアツヒロさんが役柄としてジャニーズの解散を見届けることには不思議な縁を感じます。必然性と言い換えても良いかもしれません。


以前えびちゃんずーに出演したアツヒロさんは「本当は解散したくなかったけど言い出せなかった」という話をされていましたが、今年の解散シーンの飯野にはその気持ちが多少なりとも乗り移っていたのではないかと思わずにはいられません。


そしてアツヒロさんの出演で大きかったのは、兼ね役をたくさんやってくださったことで、戸塚くん演じるジャニーさんがジャニーズと一緒に旅するシーンがたくさん描けるようになったことでした。なかでもジャニーズが初めてバックダンサーでテレビに出演したときのプロデューサー役は失礼ながらあまりにもハマっていて、3月の五関くんとの舞台が楽しみで仕方ありません。さらに先述のラストシーンでは、アツヒロさんの存在により4人とジャニーさんだけの物語でなくなったのも、非常に奥行きの出る変更であったと思います。


劇中では新曲を披露してアメリカへの憧れを体現してくださったり、後述するYou...を後輩たちと一緒に歌ってくださったことにも、この演目だからこその大きな意味が生まれました。そしてなんと言っても、ジャニーズメドレーでの光GENJI曲の歌唱はリアルタイムを知らないジャニーズファンにとってはまさに「目撃した」としか形容のできない体験で、天下を極めたトップアイドルの煌めきを2021年の帝国劇場で浴びられたことはなんとも贅沢でした。


御本人が希望されたというガラスの10代の当時のままの振り付けも、ミラーボールがたくさんの人の思い出を映し出すようなGraduationも、ローラースケート捌きで否が応にも胸が熱くなる太陽がいっぱいも、言葉での説明を遙かに凌駕する説得力があり、ジャニーズはまさに「続いてく伝説」なのだという想いを新たにすることができました。

 

ところで今回、セットが物凄く豪華になったとはいえ、フライングも無い、外部アンサンブルも居なければアクションチームも居ない、帝国劇場で上演するには極めてシンプルな作品であることに正直かなり驚きました。ショーアップしようと思えばそういう方向性もあったのかもしれません。そもそも見映えのする別の演目をやる可能性だってあった筈です。

 

それでも彼らが大切なこの機会にジャニーズ伝説を選んだこと、見た目の派手さよりも演出の深化に力を注ぎ言葉よりもパフォーマンスで全てを証明してくれたことを、心から誇らしく思います。

 

そして最後に、2019年版ジャニーズ伝説のフィナーレの為に書き下ろされたYou...についても書いておかなければなりません。

 

この曲はジャニーさんの身体が天に昇るまさにその時に、河合くんが剛くんにお願いして出来たのだと言われています。A.B.C-Zが大切に大切に歌ってきたこの曲は、ジャニーさんからの言葉のようでもあり、またジャニーさんに向けた言葉のようでもあり、先輩後輩ジャニーズファミリーみんながひとつになって未来への旅を続ける為の誓いのようにも聞こえます。

 

光となって確かにそこに現れるジャニーさんは、肉体を失っても彼らを見守り続け、また彼らもその光を見失わないよう大切に追い掛けて行きます。ジャニーさんをよく知らない子供たちがその光を囲んで駆け回る姿は、何度見ても涙が溢れて止まることはありません。

 

そして終盤、「叶えられるよ君なら」と背中を押されてきた彼らは、光のもとに跪き、

 

叶えられるよ僕らは

 

と泣きそうな笑顔で語りかけます。これはまさに劇中で描かれていたジャニーさんの姿勢に対する彼らの答であり、過去と未来を繋ぐ約束でした。

 

ジャニーさんの夢でもあった「Never my love」を託された5人が今こうして自分たちの力でこの場所に立ち、仲間たちと共に何度でも誓いを立てる姿が、天国でも忙しくしているであろうその人にどうか届きますようにと、願わずにはいられません。

 

ABC座2021は、私たちファンが夢を信じる「勇気」を貰って劇場を出るところまで全てが美しいストーリーに収束していくような、特別な体験でした。この伝説はきっと、誰かが夢を見る限り続いていく終わらない物語となるでしょう。だって「世界は君のステージ」なのですから。

 

 

我が人生を満たす色は

気付けば、あれから1年が経った。


見えない何かへの恐怖に拍車を掛けたのは、誰かに会えば取り返しのつかないことになるかもしれないという不安だった。親しければ親しいほど、愛しければ愛しいほど気軽に会って会話することができないという、半年前までは夢にも思わなかった世界。それが確かに眼前に広がっていた。

誰もが昨日までとは同じように生きられない社会。

誰もが明日の自分に不安を覚える日々。

その中でも、心電図が停止するかの如く時が止まってしまったのが私の愛するエンターテイメントの世界だった。春から夏にかけて何枚も大切に抱えていたチケットはすべて、夢への切符からただの現金へと姿を変えた。「最大の挑戦」になる筈だった舞台は、幕が上がらぬまま終わってしまった。


もちろん、こんなときだからこそエンターテイメントは必要とされた。音質や画質にこだわっている場合ではなかった。どんな形でも光を届けようとするたくさんの志を私は確かに見た。


それでも、私の日々は、

いつの間にかモノクロに変わってしまった。


部屋に籠り、何度動画を見ても満たされない気持ちがあった。劇場で、コンサートホールで、自分にしか見えない景色が見たかった。「その場所」に向かうためにメイクをし、服を選び、少し早く友達と待ち合わせてランチをする。良い作品と出逢えれば、それだけ良いお酒が飲めた。私の人生を支えていたそんな些細な幸せが、何故奪われなければいけないのか理解ができなかった。


状況は、良くもなったし悪くもなった。制限付きでの公演が再開されてからも、それがいつ中止になるかは誰にも分からなかった。劇場の灯を絶やさない為にもチケットを買い、絶対に中止にさせない為に厳しいルールを守り続けた。見えない明日はこの事実を積み上げた先にあると信じるしか、術はなかった。


10月。帝国劇場にミュージカルが帰ってきた。


個人的には9月の帝劇再始動の公演にも行ったが、ミュージカルの帰還はやはり特別だった。秋の帝劇に現れた初夏のローマは明るく爽やかで少しだけ切なく、愛おしかった。

 

平行して、和樹さんは延期になっていたツアーを走り抜けた。ライブハウスの収容率を下げ、トーク時は着席。恒例の乾杯は用意された音声で行った。ファンの中にも当然行けずに悲しむ人が居たし、ニコ生のコメント欄で今ライブをやるべきでないとハッキリ伝える人もいた。そのすべての気持ちを受け止めて、和樹さんは歌を届け、必ずまた会おうと約束してくれた。


そして、この悪夢のような年の12月に発表されたミュージカルが「BARNUM」だった。伝説の興行主P.T.バーナムの生涯を描いたミュージカルの日本版である。


私は映画「グレイテストショーマン」が大好きだった。普段映画館に行かない私が何度も足を運んだ。ショーを生きる登場人物たちの想いは胸を打ち涙を誘い、勇気を与えてくれた。ミュージカル感を大事にしながらも映画ならではのダイナミックな手法が随所に取り入れられた秀逸な作品で、サントラをあんなにリピートしたのも初めてだった。


その映画でヒュー・ジャックマンが演じたバーナムの人生を、劇場で、ミュージカルとして上演する。それだけでも期待せずにはいられないのに、主演するのが(すっかり推しと呼ぶのにも慣れた)加藤和樹さんだというのだからこれはもう大変なことだついでに言うと私の人生を狂わせた「BACKBEAT」が上演されたのも同じ東京芸術劇場プレイハウスだった(ドリーマーのくだりで頭の中にImagineが流れるのは私だけじゃないよな?)。


物語はバーナムのホラ吹きから始まる。周りの仲間や妻が眉を顰めても、「イカサマは気高き芸術だ」と言って憚らないこの男は、夢に取り憑かれたようにその目を輝かせている。対する妻チャイリーは、もっと尊敬に値する芸術にその想像力を使えと彼を窘める堅実な女性であった。それでも愛し合い互いを尊敬する二人が共に生きた日々の色彩を、ミュージカルは鮮やかに描き出す。


そしてこの舞台のキーワードは「色」だったように思う。


金色、激しい色彩を世界にぶちまけようとするバーナムと、優しい大地の色を望むチャイリー。一度は成功した彼が自分には向かないと分かっていても堅実に生きようと試行錯誤する日々は「Black&White」に乗せて歌われる(ミエ様の歌唱が本当に素晴らしすぎて痺れたよね)


特に好きだったグレイテストショー前夜のシーン。


チャイリーの墓前で自分のイカサマとアメリカの英雄たちの夢は深いところで繋がってるんじゃないかと独り言つバーナム。彼女と追いかけた上院議員の夢を諦め、サーカスへの誘いをも断ろうとしたとき、激しい赤黒のジャケットを羽織ったクラウンたちが「サーカスこそ人生だ」と歌う。ずっと追い求め信じ続けてきた色彩豊かな夢が、再び地上最大のショーへと彼を駆り立てるのだった。


そして地味な青色のジャケットを着替え羽織ってくるロングコートは「無色透明」。可視光線のすべてを透過するその色を纏い、人生というショーを最後まで駆け抜けるバーナムがその笑顔を絶やすことはなかった。


最初に見たときは、何故最後の最後で透明なのだろうと思った。劇場を出て「ポリエチレンテレフタレート様」という単語が聞こえたときはもう少しで吹き出すところだった。でもそれはきっと、世界を激しく染め上げ続けたバーナムが、最後に辿り着いた境地なのだろう。

 

「おいでサーカス」

「本当はずっと来たかった筈」

「絶対後悔しない」

 

ずっと欲しかった言葉。嘆きの言葉しか出てこなかった日々。悲しみや不安が笑顔に昇華される瞬間を、その座席で目撃した気がした。

 

天に与えられた想像力とカリスマ性、そして最愛の妻チャイリーが教えてくれた立ち向かう勇気。恐ろしいまでにじっとしていられないこの男は(双眼鏡ゆっくり構えられるシーンが全然なかった)、ペテン師の称号とは裏腹に、どんなときも未来に目を輝かせる子供のようだった。

 

この世で60秒ごとに起きる全ての現象は、激しく煌びやかに、時に儚く恐ろしく彩られ、私や貴女のような「見たがり屋」の餌となる。そしてバーナムが色をぶち撒けた道の先に、エンターテイメントを作り、愛する私たちは確かに今立っている。バーナムのショーが過去となったのは、今日この日も新たなショーが生まれ続けているからに他ならない。

 

奇しくも、東京公演中の21日に緊急事態宣言は解除されることとなった。もちろんすぐにかつての日々が戻るわけではない。でも、平日16時開演や、収容率を半減した公演は減らしていけるという希望が確かに生まれた。


モノクロだった日々に、バーナムのぶち撒けるたくさんの色彩が、戻ってくるのかもしれない。偶然と吐き捨てるにはあまりに出来すぎている。


エンターテイメントを愛する全ての人が悪夢に立ち向かう勇気を持ち、レンガを積み上げるようにひとつひとつ積み重ねてきた日々が、確かに明日の世界を照らしたのだと信じるのは愚かでしょうか、ねえバーナム?

 

 

 

科学者が船を愛する理由、あるいは祖国を吹き抜ける風の色について

鮮烈な芸術を目撃した。

そうとしか表現できない体験だった。

 


3.5次元音楽朗読劇Reading High

El Galleon〜エルガレオン〜

2020.2.7,8@東京国際フォーラムホールA

 


贔屓の声優さんから出演情報がもたらされたときはただ、「随分力の入った朗読劇だな」という印象だった。キャストコメントなども都度拝見していたが、あくまで朗読劇として面白そうだな、という感想を持っていた。

 


でも私が国際フォーラムで目撃したのは、3.5次元音楽朗読劇という言葉でもなお足りない、奇跡のような芸術だった。

 


面白いものを作ろうと本気で思っている人達がこの作品に集まっていることは会場に着いてすぐ分かった。雄大な海原を感じる波の音、舞台の上に広がる世界観、開場中も観客を飽きさせないナレーション。関わる人達それぞれの希望が上手に企画書にまとまること、それを実現するだけの能力のあるスタッフキャストが揃うこと、信頼と実績に金を出す客がいること。社会人として少し経験を積んだ今なら、これがどれほどの奇跡かは理解できる。

 


これまで様々なライブや舞台作品を見てきた。そこで分かったのは、観客の想像力を適正に信じている人にしか作れないものがあって、そんなエンタメはいつも自由をくれるということ。想像の翼が連れて行ってくれる世界は、とても色鮮やかで豊かだということ。

 


声優さんを好きになり始めて、声だからできること、声にしかできないことがたくさんあるのだと知った。さらにこの2日間で、朗読劇だからこそ表現できる美しい世界があることを心で理解できたことは本当に幸せだった。

 


少し具体的な話をすれば、過不足のない脚本に適材適所で均整の取れた演出で2時間半があっという間だった。メインキャストたる声優さんは衣装こそ着ているが(パンフにデザ画とコンセプトが載ってるの最高だった)マイクの前に立つ以外のことはほぼしない。舞台の力に引き込まれて想像の海に漕ぎ出すと、眼前には無限の世界が広がった。

 


例えば水や炎の演出も使いどころが適切でストーリーがスッと心に馴染んでくる。生バンドのサウンドは波間を漂うように優しく響き、歌声や弦楽器は登場人物の気持ちにそっと寄り添っていた。その全てが丁寧に、心を込めて作られたものだと感じ取るのはとても容易なことだった。

 


そして中でも秀逸だったのが照明演出である。昔から推しているアイドルが照明に徹底的にこだわる人だったこともあって、照明に無限の可能性があることは理解していた。限られた空間を彩る光は使い方ひとつでどんな世界も描くことができる。

 


今回使われたドットイメージも、以前にコンサートで見たことがあった。照明が能動的に具象を表現するという意味でとても革命的な製品だと衝撃を受けた記憶がある。しかし今回使われたそれは格段の進歩を遂げていて、演者がほとんど動かない朗読劇であれば舞台の前面にまで使うことができるのかと心から感動した。

 


さらに2幕で登場した世界初公開の光線を発する機構(名前が分からないw)。これには衝撃を通り越して震えが止まらなかった。中心円から放射状に伸びた棒のようなライトがひとつひとつとんでもない光量を放ちながら縦横無尽に機動する。ただただ圧倒され、何も考えられない程だった。そして何より、素晴らしく強力な機構を備えながら決して過剰にならない演出センスの良さも、文字通り光っていた。

 


リーディングハイというプロジェクトがどういう経緯とコンセプトで名付けられたのかは存じ上げないが、人の五感を超えたところにまで訴えかける演出の数々は恐ろしいほどだった。声と音と光を適切に使えば人は簡単に陶酔し昇天するのだと、抗えぬ神に遭遇したかのような感想は不思議なほどに実感を帯びていた。

 


描かれる物語はナポレオン時代のイギリス海軍と伝説の幽霊船が海上で衝突するところから始まる。娘を失った海軍の英雄ネルソンとその親友カスバート、父王の崩御をひた隠し不老不死の薬を探すジョージ王太子はそれぞれ祖国への誇りを胸に戦争を続けていた。対する幽霊船に乗り込むのはいずれも伝説の海賊として後世に語り継がれたキッド、ダンピア、黒ひげ、そして黒ひげの娘フローチェである。

 


全員が全員素晴らしく魅力的で、それぞれの想いが交錯し前に進んでいくストーリーはとても力強く優しい。3公演の結末はマルチエンディングとなっていたが、私は2日目の昼公演Memoriaが1番好きだった。黒ひげの愛、ネルソン提督の後悔(ソフィーにかける最後の言葉の合間、2秒だけ上を向いたのは演出だったのかそれとも…)、寂しさを隠さないフローチェ、それぞれが痛みを抱えながら信じた道を行く姿に涙が止まらなくなったのを覚えている。さらに言うとダンピアが船を好きな理由を語るシーンは、3公演全体のハイライトとも言えるほど胸に響いた。

 


もうひとつ、ネルソン提督の「祖国とは」を語る演説には毎回圧倒された。人々の心を奮い立たせる声で全ての神経が満たされ、イングランドの海軍が、民衆が、緑の丘に吹き抜ける風が、家族の風景が眼前に押し寄せてきた感覚を忘れることができない。声の芝居だからこそできる、鮮やかで豊かな経験だった。

 


この作品に出逢えたこと、3公演の全てを感じられたこと、エルガレオンを愛することができたこと、その全てがこれ以上ない幸福と自由を与えてくれた。

 


関わった全ての人に心からの感謝を。

美しく広く優しいこの海の何処かでまた会えますように。

 

 

 

 

 

 

 

いっそ貴方と死にたい~再演初見の加藤アンリガチ恋勢が北極にハピエンの幻覚を見るまで~


ミュージカル「フランケンシュタイン」が見る人を選ぶことは初演を見た人たちから幾度となく聞いていた。過去の感想を綴るツイートには地獄というワードが頻出し、それを呟く誰もが目を爛々と輝かせる様子が脳裏をよぎった。


かくいう私も地獄を愛する方のおたくである。
ハッピーエンドももちろん嫌いではないが、なにせ堂本光一さんのEndless SHOCK(本日初日ですねおめでとうございます)育ってきた。喪失の先にこそある永遠を毎年泣きながら拝み倒しているのだ。


だからなんとなく、この作品は私の肌に合うだろうなと感じていた。どんな地獄が見られるのか、その先にハッピーエンドの幻覚は見えるのか、幕が上がるのがとても楽しみだった。


そして迎えたmy初日。


初めて拝見した柿澤さんは仔犬のような目が印象的で、決して大きくない(ように見える)身体に人目を引くオーラとパワフルな歌声を秘めていた。


最初のシーンから雷鳴と共に現れるゴシックな世界観に引き込まれ、ここに辿り着くまでに何が起こったのか覗きたい衝動に駆られる。


…と、次の瞬間、戦争の混乱の最中、さっきまであられもない姿で薄汚れていたはずの和樹さん(言い方)が品のある軍人の姿で登場する。


アンリ・デュプレ少尉は大けがをした敵軍の兵士の足を縫合しようとしてスパイの罪に問われる。即時射殺されることになり「言い残すことは?」との問いかけに「ない」と断言するアンリ。


推し、もう死ぬのか・・・・・・・・・


と思ったそのとき、アンリの名を呼ぶ堂々たる声が響いた。ビクター・フランケンシュタイン大尉のおでましである。大尉はアンリが過去に書いた論文を褒め称え、「この男は俺が連行する」と宣言。しかしアンリは、その論文は間違いであった、貴方の研究も間違っていると大尉に噛み付く。死ぬ覚悟を決めた人間は強い。


大尉の研究所に行くことになった後も、科学の目的は生態系維持であると主張を譲らないアンリ。しかしビクターは争いを繰り返す人類の愚かさを説き、だからこそ新世界の神として生命の創造を進めなければいけないと彼を説得。もともと人類への絶望を抱えていたアンリは、その力強い手を握ることを選択した。


アンリとビクターの出会いは劇的で、研究者同士のプライドのぶつかり合いが垣間見える。彼らのアイデンティティが軍人というところにあれば、このような本気の衝突はなかったかもしれない。しかしこの衝突があったからこそ、ふたりは本当の意味で手を取り合い、研究の道を突き進むことを決めたのだった。

 

和樹さん演じるアンリは立ち姿からも品の良さが窺える清廉な軍医である。戦争はあくまで制圧のための手段であり命の大切さに敵味方は関係ない、とまっすぐに主張する姿はとても眩しく、それ故に戦時中の混乱の中ではきっと生きづらさがあったのだろうと思い至る。大尉に対しても主張を曲げない芯の強さにこそ、ビクターは惹かれたのかもしれない。


戦争の終結を祝う舞踏会ではビクターの叙勲が称えられるが、帰還した彼は集まった人々に笑顔を見せることなく、閉鎖されていた城に籠り研究を続けていた。様子を見に来た姉のエレンはアンリにビクターの背負う「亡霊」について話し始める。

 

舞踏会でひときわ目を引く令嬢ジュリアはビクターの幼なじみで、ふたりはかつて大きくなったら結婚しようと約束した仲だった。戦争から彼が帰るのを待ち焦がれていたにも関わらず戻ってきた彼の態度は素っ気ないが、ジュリアは涙を浮かべながらも笑顔で彼を信じ続けるのだった。


ジュリアを演じる音月桂さんは「ナイツ・テイル」の際に初めて拝見して、美しさと華やかなオーラ、さらには可憐さと芯の強さを兼ね備えた魅力的な女優さんだと感じ一瞬で虜になった。そして何より表現力豊かな歌が大好きだった。一途にビクターを信じて待ち続け、想いが溢れて泣きながら微笑むジュリアはこの世のものと思えないほど美しく、気付けば客席で毎回涙が流れていた。


ビクターの過去シーンではリトルビクター、リトルジュリアが登場する。いずれも帝劇出演経験のあるトップレベルの子役で、見た目の可愛さもさることながら、確かな歌と芝居の実力に唸らされた。

 

「亡霊」のハイライトである魔女狩りは民衆がその不安から暴徒になる流れが恐ろしく、剥き出しの悪意を向けられる姉弟に救いがありますように、と願わずにはいられない。


実験がまたも失敗に終わり城を飛び出したビクターは、酒場で持論を展開し酔客に暴力を振るわれていた。止めに入ったアンリに対し「この壮大な理想の堕落を見ろ」と自暴自棄になるビクター。そこに飛び込んできたルンゲが告げたのは、新たな材料が入手できそうだという一報だった。


大好きな酒場のシーン。「生命」が内包する民衆の平々凡々とした生活を、ほんの少し明るく照らす刹那。自暴自棄になる親友を励まし「諦めるのか?」と聞くアンリは時に兄のように時に同志のように、理想主義者であるが故に萎れそうなビクターの心に勇気を与える。


「生きるってなんなの?」それは研究者だけでなく、日々を生きる人々にも共通の命題だった。


場面は翌日に移り、縄で手を縛られたアンリが怒り狂った民衆とともに広場に現れる。殺人の罪を問われた彼はハッキリと自分のしたことだと自供。金に目がくらんだ葬儀屋とその葬儀屋に激怒したビクターが起こした2件の殺人を、アンリはひとりですべて背負おうとしていた。


一方のビクターは、城で一人頭を抱えていた。
親友が自分の罪を被って今にも処刑されそうだというのに足が動かない。自分の中に眠る恐ろしい欲望の影。しかしそれを成し遂げることは、唯一無二の相棒を殺した唾棄すべき殺人者に成り下がることを意味していた。


髪を乱し少しやつれたように見えるアンリは最初こそ民衆の怒りに驚きの表情を浮かべるものの、覚悟を決めてからはむしろ晴れ晴れとした顔で断罪を受け入れる。友を庇う為に、あるいは研究を完遂するという願いの為に。アンリの想いはどこにあったのだろうか。それは相手によっても日によっても違って見え、一瞬たりとも目が離せなかった。


ビクターの動揺についても演者によって、日によって、いろいろなパターンがあった。エレンにアンリの首が欲しいのかと問われて初めて自分の中にある欲望に気付くこともあれば、アンリの首のことで頭がいっぱいなのにそれを表に出さないよう押しとどめていることもあり、その日その瞬間を生きるビクターの様々な表情を見ることができるのがとても面白く、贅沢な体験だった。


判決の日。ビクターは本当は自分がやったのだと白状するが、叔父のステファン市長が戦争の後遺症を指摘したことで証言は却下される。アンリは聴衆の望み通り死刑を宣告され、執行は明日。

 

最後の夜、ビクターはアンリのもとを訪れ、本当のことを言おうと持ちかけるが、アンリは出会ったその日にビクターの瞳に恋をしていたこと、ビクターの夢の中で生きられるなら悔いは無いことを告げ、生きるべきは君だと親友を説き伏せる。翌朝予定通りに死刑は執行されるが、その首は行方不明となった。


1幕のクライマックスはビクターとアンリの激しい感情の応酬で息もつけない展開が見応え抜群だった。ビクターと見る夢だけを胸に死んでいくことを決めたアンリ、ことの重大さに震えながらも決意を固めるビクター。


一度拾ってもらった命を彼のために使うならなんの後悔もないというアンリのまっすぐさは時に美しくも見え、時に夢に突き進む狂気を感じさせるもので、夢という名の「欲望」がアンリまでも飲み込んでいく様子が印象的だった。断頭台の前で見せる笑顔には少しの曇りすらなく、だからこそ見ている者の衝撃と悲しみを誘う。行かないでアンリ、というビクターの声が頭の中で聞こえたのは私だけではないと思う。太陽のように眩しい彼の理想に恋をしたアンリの、短い生涯はかくして幕を閉じた。


対するビクターは親友を殺す罪の意識と別離への悲しみを隠さず、それでいて結局はアンリの提案を受け入れることになる。ふたりのビクターはともに表現の幅が豊かで、本当に目が足りないとしか言いようがなかった。ともあれこの出来事は決定的にビクターを変えてしまう。


このあと首を持ち帰ったビクターは何かに取り憑かれたように研究を進め、アンリの首を最後の材料として最大の挑戦へと向かう。ここで冒頭のシーンが繰り返され、誕生した怪物は自分を攻撃したルンゲを殺害、ビクターは絶望に包まれながら、アンリとして生まれ変わったはずだった怪物の破棄を決意する。


生まれたての怪物はまるで赤子のように笑い、ビクターの呼びかけに応えようとしていた。きっとじゃれていただけだったのだと思う。それを怪物と罵られ攻撃された。怒りにまかせてやり返したら相手は動かなくなり、さっきまで優しく声をかけてくれたビクターが怖い目をして自分を殺そうとした。理解が追いつかないまま、押し寄せる怒りと悲しみが怪物の心を蝕んだ。

 

これが呪いだ、彼がそう思ったかどうかは分からないが、かつてビクターが言っていたように、神たる創造主は怪物に呪いをかけてしまった。最後の希望だったふたりの夢は、こうして最初の悲劇を生み出したのだった。


それから3年後。

ビクターは幼い日の約束通りジュリアと結婚式を挙げる。この間怪物を探し続けたビクターは、雷鳴が轟くたび恐怖に怯える日々を過ごしていた。

 

ある日、ステファン市長は森の中で行方不明になり、連れていたはずの犬が無残に嚙み千切られた状態で発見される。街の人とともに森を捜索するビクターの前に現れたのは、あの日逃げて行った怪物だった。


ビクターを「創造主」と呼ぶ怪物。その手は真っ黒に汚れ、傷も増えているように見える。自分の作った生命が知性を得たことに驚くビクターに、アンリの記憶はないと吐き捨てた怪物が、その過去を語り始める。


ビクターとジュリアの幸せな時間はあまりにも束の間の出来事だった。ジュリアのソロナンバーでは幸せばかりでなくこの先を予見するようなフレーズが印象的に歌われる(ちょっと演歌っぽいよね)

 

この3年のジュリアの献身ぶりは察するに余りあるが、ビクターはやはり悪夢に魘されるが如く怪物のことが頭から離れないようだった。事件を告げるように雷鳴が鳴り響き、混乱の中でビクターの前に現れた怪物は、アンリの顔をしていながらビクターを創造主と呼び、アンリをあの男と呼ぶ別の人格で、その声には悲しみと怒気が混ざり合っている。その姿を見て思わずアンリと口走るビクターは3年間どんな想いで過ごしていたのだろう。1幕のシーンのように失敗作を破棄しなくてはという責任感だったのか、アンリの首を取り戻したい友愛だったのか、それとも。

 

ビクターの部屋を逃げ出した怪物はただ走っていた。訳も分からぬまま追い回され銃を向けられた。目から零れる雫を涙と呼ぶことは後から知った。空腹を満たすためにどんなものも食べた。でも何のために生きるのかは分からなかった。

 

ある日、冬眠から起きだしたクマを殺し、その近くで気を失った人間を抱えて森を歩いているとその仲間たちに襲われ、気が付くと鎖に縛られていた。

 

場面は場末の闘技場へと移る。愛に泣いて金に狂う男たちの最後の砦ともいうべき無法地帯。暴力と金が支配するこの世界で怪物は商品に仕立て上げられ、日々無意味な戦いを強要された。

 

ある日金貸しのフェルナンドから闘技場を賭けた決闘を挑まれたエヴァとジャックは、怪物を出場させれば勝てると確信していたのだった。


愛に泣いてェ!!!

金に狂ゥゥゥ!!!!

(熱唱)


それまで控えめなモノトーンで描かれてきた世界が突如ギラギラと煌めき色を纏う。艶やかで妖しいステージに釘付けになる観客はまさに今、己の欲望と対峙せざるを得ない。


1幕の慈愛に満ちたエレンとは真逆の女主人エヴァとして登場するのは露崎春女さん。1回目の観劇のあと真っ先にお名前を検索し、これが初舞台だと知って驚愕したのを覚えている。それほどに魅力的なキャラクターであり圧倒されるパフォーマンス。これからも色々なミュージカルで拝見したいと思わされた。


そしてエヴァの夫であるジャックは中川さん柿澤さんの解釈の違いがビクターよりも如実に表れていて、毎回見るのが楽しみだった。

 

中川さんのジャックは如何にも小人物といった風情でエヴァの尻に敷かれ、彼女のお気に召すまま、機嫌を損なわないよう必死で怪物を痛めつける。


対する柿澤ジャックはとにかくやばい(やばい)。歪んだ快楽と底知れぬ暴力性に塗れた狂気の権化である。「玩具ってそういう意味~~~~~~~!?!?」と何度日生で叫びそうになったことか。


闘技場を取り巻く世界は舞台上での「現在」と表裏一体になって描かれる。「ただの男」であるビクターと中川ジャック、「狂気の創造主」であるビクターと柿澤ジャック、それぞれがそれぞれシンメトリックに表現されていたというのは考えすぎだろうか。


城を飛び出した怪物が追われる場面は悲哀に満ちて胸が締め付けられたが、奥行を使い距離感とスピード感を表す舞台表現がとても好きだった。

 

何もわからず飛び出して走った怪物は掴んだものを食べる、つまり腹を満たし生きていくことを選ぶ。それは生き物としての生存本能なのか、それともこのときには生きて復讐するという目標が芽生えていたのか。いずれにしろ、望まれて生まれさっきまで無邪気に笑っていた生き物が経験するにはあまりに凄惨な現実である。


決闘前夜、戦う相手にとどめを刺さない怪物に業を煮やしたジャックはこれまで以上の暴力で「化け物」を従わせようとする。ボロボロになった怪物のそばを通りかかったのはクマから命を救った下女カトリーヌだった。カトリーヌが助けてもらったお礼を言い、挨拶をすると、怪物はたどたどしく言葉を発する。

 

「怖くないのか?人間じゃないのに」と恐る恐る問いかける怪物に「人間じゃないから怖くない」と応えるカトリーヌもまた、人間に、世界に絶望しているのだった。


欲望のない平和な北極へ行こう、と心を通わせるふたりのもとにエヴァとジャックがやってくる。怪物と引き裂かれ惨い仕打ちを受けるカトリーヌ。そこに聞こえてきたのは「自由が欲しいか?」という声だった。


逃げ出した後の怪物が唯一笑顔を見せるシーン。それが更なる悲劇の引き金となるとは知らず、心を通わせるふたりは世界への絶望によって共鳴する。人のいない、欲望のない理想郷(クマは居る)に行きたいと目を輝かせる姿は微笑ましいものの、この笑顔がどれだけの悲しみの上に咲いたものかを考えると胸が締め付けられる。


怪物としての和樹さんの歌声は、アンリと一線を画すフィジカル的な意味での力強さを感じた。もちろんビジュアルや他の要素も相まってだが、体の大きさや知性レベルまで伝わってくる声の表現力にはやはり脱帽しかない。そしてカトリーヌの胸に顔を埋める怪物は赤ちゃんだった(赤ちゃんだった)。


怪物に毒を盛れば自由を与えるというフェルナンドの言葉に怯えるカトリーヌ。辛いだけの人生に終止符を打つべく自ら毒を飲もうとするが、自由を得て人として認められる可能性に気付きその目が光る。


案の定決闘で力を発揮できなかった怪物は惨敗。ジャックに前夜のことを暴かれ、フェルナンドにも裏切られたカトリーヌはこの世の地獄を味わいながら死んでいくこととなる。うち捨てられた怪物は諦めと悲しみの中、闘技場に火を放った。


なんといってもカトリーヌを生き抜く音月さんが素晴らしく、綺麗さを捨ててもとにかく力強く響く歌声に心打たれる場面。凄惨な暴力の末に自分の運命を嘲笑する姿、近づいてきた知らない男に怯える顔、心優しい怪物に毒を盛ることへの逡巡と唯一の可能性に賭けられるかもと光る目の奥、全てが恐ろしいまでのオーラに満ちていた。


カトリーヌはきっと悪女ではない。ただ愛に触れられず運命に呪われた憐れな少女だった。環境や周りからの愛に恵まれ清らかに育ったジュリアとカトリーヌの本質に、どんな違いがあったというのだろう。


カトリーヌから毒入りの水を受け取る怪物は鎖に繋がれ檻に閉じ込められながらも、彼女が来てくれたことに喜びその腕に優しく触れる。おそらくは体調に異変をきたしてからも彼女のことは露程も疑わなかったのだろう。決闘で打ちのめされカトリーヌに「そんな目で見ないで!」と言われる目は虚ろでありながらも温かく、その一方で悲しみと諦めを滲ませているようだった。

 

ただひとり信じられると思った人にたったひとつの希望を裏切られた悲しみ。また信じてしまった。この世で誰一人信じてはいけないと学んできた筈なのに。


壊れた怪物をもう返品もできないとうち捨てるジャックに「また新しいのを探せば良いさ」と笑顔で告げるエヴァ


「怪物は、何処にだっているよ」


という台詞はおそらく2幕の、いや全体を通しても随一の見所である。怪物は、と言ったあとエヴァは手に持ったナイフで上から下まで明らかに客席を指し示している。


この地獄のような光景は本当に別世界の出来事なのか?

それを眺める自分の心に「怪物」がいないと誰が言い切れるのか?


ふたつの時空が表裏一体に描かれるからこそ、エヴァの台詞は殊更胸に刺さる。フランケンシュタインならではの面白さが詰まったシーンだった。


森で捜索を続けるビクターとジュリアのもとにステファンが見つかったと一報が入る。しかし見つかったステファンは腹を刺されており、そのそばには財産目録を手にしたエレンが倒れていた。民たちは弁明も聞かず、財産目当てに叔父を殺害した罪でエレンを絞首刑に処す。


ビクターが失意の中で回想する過去。そこにはいつも優しく見守り抱きしめてくれた、もう届かない姉の姿があった。


姉の死体を背負いまたしても城に連れ帰るビクター。しかし研究施設は破壊され、エレンを生き返らせることはできなかった。そこに現れる怪物。また同じことを繰り返すのかと詰め寄る語気は荒い。復讐ならば今ここで殺してくれと懇願するビクターに聞く耳を持たない怪物は、同じ苦しみを味わわせるという呪いの言葉を残して立ち去った。


やはり民衆の中に眠る暴力性こそが最も恐ろしいと実感するエレンの処刑シーン。呪われた一族の生き残りである彼女を処刑することに躊躇う人間はいない。恐ろしい魔女狩り騒動のあと、留学に旅立つ弟を励まし、唯一の肉親として優しく抱きしめてくれたエレン。


回想の中に潜る大人の姿のビクターがぎゅっと抱きしめてもらおうとしてすれ違うシーンは涙無しには見られなかった。「僕の気持ちなんて分かろうともしない」と反発することの多かったビクターだが、姉の愛に気付いていたからこその甘えだったのかもしれない。(今思うとこれだけ人生を懸けて愛情を捧げてきたビクターのことを「愛を知らず育った」と形容しなければいけなかったエレンの気持ちたるや・・・)


喪失を神の呪いと呼ぶのなら、生命を取り戻す営みはすなわち神への挑戦である。しかしその結果生み出された怪物が神もろとも創造主を憎むのは必然だった。


アンリとの夢だった研究は続けられず姉の命を取り戻すこともできないビクターの殺してくれという懇願は悲痛なまでの苦しみに満ちていたが、怪物はまだこんなものではないと淡々と告げる。激しい感情であるはずの憎しみすら怪物の中ではあまりに当然のものとして粛々と存在しているのだと思うと、やりきれない気持ちでいっぱいだった。


ビクターは傭兵を雇い怪物の再来に備えた。ジュリアが怖いと告げたのは怪物の襲来か、それとも怪物退治に躍起になる夫のことか。緊張が高まる中、銃声が鳴り響く。駆けつけたビクターが目にしたのは、血塗れで横たわるジュリアだった。


傭兵に扮した怪物は最愛の妻を失ったビクターを残して部屋を出る。殺したければ北極へ来いと言い残して。もう戻らない大切な人たちを悼むビクターは、悲しみに暮れるただの男だった。


ジュリアが殺害された後のビクターがとても印象的なシーン。傭兵に扮した怪物が部屋を歩き回ると呼応するように血塗れのジュリアに覆い被さり守ろうとする柿澤ビクター。ベッドに腰掛けてジュリアに触れないようにしているのにベッドごとジュリアがハケる瞬間に握った手が離れていく中川ビクター。


柿澤ビクターの左手とジュリアの左手に同じ指輪が輝くのも、中川ビクターの右手とジュリアの右手がふわりと離れる瞬間も、とても美しく記憶に残っている。


星が瞬き、不思議な時が流れる空間。怪物は迷子と出会い、「星になりたかった友達」の話を聞かせる。


時空が交差するフランケンシュタインの舞台空間の中でも、ひときわ不思議な空気が流れる場面。時間軸をそのままに捉えればジュリアを殺して北極に行くまでのシーンだが、「すべてが終わった後」という解釈があると知ったときは震えてしまった。そう言われれば北極のことも過去形で歌っている。もしかしてもしかして、怪物は生き残って彷徨っている・・・?


この件に関してはあきかず東京千秋楽のことを書き残しておきたい。もしかすると私がそのときたまたま気付いただけかもしれないし、そうではないかもしれないけれど。

 

迷子の首を絞めて追い返し、一人になった後、北極に続く階段を上る前。舞台の前方に進み出た怪物は、首を回すような勢いで傾け、その瞬間に目が少しだけ曇った。迷子と話していたときより、少しだけ知性レベルが落ちた気がした。


これは、まさか、時を戻す仕草・・・・・・?


もちろん、幻覚受容体ガバガバおたくこと私の見た光景なので、信用に値するとは言い難い。だけど、もしかしたら。そう思わせてもらえることがなんとも幸せだった。


北極に辿りついた怪物。息も絶え絶えに後を追ってきたのはビクターだった。三日月の下で対峙するふたり。怪物が生まれたあの日と同じようにビクターは引き金をひき、その「復讐」は果たされたのだった。


幾重にも折り重なった愛憎が決着を見るラストシーン。

しかしその結末は回によって、見る者によって全く違う色を放つ。

 

ある日はしんしんと雪の降りしきる中ふたりが静かに息絶える光景が、ある日は更なる神への挑戦状を叩き付けるふたりの光景が、はっきりと舞台に浮かび上がった。


ミュージカル「フランケンシュタイン」が与えてくれたのは、どこか不思議でこれまでに感じたことのないような、豊かな観劇体験だった。


怪物の中にはアンリがいたのか。
ビクターは怪物の中にアンリを見たのか。

 

確かに凄惨なシーンの連続だった。

結末では誰もいなくなった。


でも私はビクターに首を預け腕の中で横たわる怪物の姿を、バッドエンドと名付けることはできなかった。ずっと孤独だったふたつの魂が世界の果てでひとつになる光景を、不幸と呼ぶことはできなかった。


これを幻覚と笑われるのならそれでもいい。ふたりが手に入れた永遠を、せめて幸福と呼ばせて欲しいと願うのは罪だろうか。


あきかず東京千秋楽。
カーテンコールで挨拶した主演のふたりは口を揃えて「この悲劇的な物語のどこかに希望を見出してもらえたら」と言った。悲劇を見せることがこの舞台の主題ではない。人間の愚かさを嘲笑うことも恐らく目的ではない。


この物語の何処かに自分が存在していたかもしれない。それは孤独な一人の男かもしれない。弟に愛を注ぐ姉かもしれない。魔女を殺せ、犯罪者を殺せと騒ぎ立てる民衆かもしれない。

 

それぞれの生命をどう生き抜くか。

生命とは何か。人生とは何か。

 

舞台上で死んでいった多くの命に、

それを見つけることを強く求められている気がした。

 


だって死ぬということは、

生きたということなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤いギターに恋をした〜211の好きだったこと

暗闇でも圧倒的なオーラを放つジョンが好きだった。

 

コートを脱いだ瞬間の挑発的な目が好きだった。

 

スチュの未来がハッキリ見えるジョンが好きだった。

 

されるがまま煙草を吸う可愛さが好きだった。

 

ピカピカのベースを取り出すジョンが好きだった。

 

自分のベルトを弦に見立てるジョンが好きだった。

 

スチュを褒めちぎるジョンが好きだった。

 

左手を見せびらかすジョンが好きだった。

 

メンバーの自己紹介に顔を向けるジョンが好きだった。

 

開放弦だけのベースに合わせてグルービーに歌うジョンが好きだった。

 

スチュのクールさをドヤるジョンが好きだった。

 

バンド名を考えるスチュに少しだけハラハラしてる顔が好きだった。

 

ゴッホを超えたスチュに誇らしげなジョンが好きだった。

 

小切手を咥えるセクシーな唇が好きだった。

 

それにキスするジョンはもっと好きだった。

 

5人のセンターで音頭をとるジョンが好きだった。

 

新天地への期待を体全体で表現するジョンが好きだった。

 

ネオンに吸い寄せられるジョンが好きだった。

 

慌ててスチュを立たせるジョンが好きだった。

 

オーナーに対してもとりあえず反抗してみるジョンが好きだった。

 

ジョージの困惑をよそにカウントを取り始めるジョンが好きだった。

 

オーナーに向けて演奏しろと無言で促すジョンが好きだった。

 

マイクスタンドを正面に向け直すジョンが好きだった。

 

面白いって言いながら殴りかかるのを全力で止められるジョンが好きだった。

 

スチュが詰め寄ろうとするのを抱き止めるジョンが好きだった。

 

悪趣味なジョークで一矢報いるのが好きだった。

 

血が出るまで弾くしかないって意外とまともなのが好きだった。

 

上着を床に叩きつけるのが好きだった。

 

観客を挑発するジョンが好きだった。

 

歌声とサウンドで全てを捩じ伏せていくのが好きだった。

 

酔っ払いからスチュを守ろうとする腕が好きだった。

 

女の子に攻められて未知と遭遇するジョンが好きだった。

 

満足した女の子に軽くあしらわれるのが好きだった。

 

スチュの感謝に当たり前だろって顔するのが好きだった。

 

ふたりきりで煙草をふかして安らぎを感じてるジョンが好きだった。

 

童貞のジョージをからかうジョンが好きだった。

 

メンバーの野心を加速させるジョンが好きだった。

 

4人を先に行かせてからベッドに飛び込むのが好きだった。

 

ジョージを囃し立てる指笛が好きだった。

 

朝食のルームサービスを頑なに期待するのが好きだった。

 

先手必勝なジョンが好きだった。

 

ローザに挨拶する少し眠そうですごく優しい声色が好きだった。

 

ドラッグにも恐れず手を出すのが好きだった。

 

手を払いのけたピートを無理に誘わないのが好きだった。

 

キマりきって白目剥きながら演奏してるのが好きだった。

 

アストリッドが近付いてくるのを見て髪を撫でつけるのが好きだった。

 

煙草を差し出して火を点ける優しい手付きが好きだった。

 

キスしようとして空振るのが好きだった。

 

自分を怒ってたのが俺って形容するのが好きだった。

 

リーダーは居ないって思ってるとこが好きだった。

 

ポールの並外れた実力をちゃんと理解してるのが好きだった。

 

スチュが来て嬉しそうに笑うのが好きだった。

 

スチュのおふざけに当たり前に付き合うのが好きだった。

 

ハンブルク見学にダルそうに付き合ってるのが好きだった。

 

スチュとアストリッドの異変に敏感に気付くのが好きだった。

 

ジョージとクラウスに悪戯するジョンが好きだった。

 

ピートの髪の毛に煙を吹きかけるジョンが好きだった。

 

ポールに煙草を咥えさせるジョンが好きだった。

 

煙で輪っかを作るジョンが好きだった。

 

サルトルだってロックンロールにしちゃうジョンが好きだった。

 

カメラに向かってすごく挑発的なジョンが好きだった。

 

良いんじゃない?って笑顔を作ろうとするジョンが好きだった。

 

スチュがいないのに?って当たり前のように聞くのが好きだった。

 

睨み合いながらポールが正しいって認めるジョンが好きだった。

 

ケンプフェルトに笑顔を返すジョンが好きだった。

 

グループが偉大になることを露ほども疑わないジョンが好きだった。

 

太鼓持ちジョージを呼び戻すのが好きだった。

 

最初はおとなしそうにバックミュージシャンしてるのが好きだった。

 

バンドのターンに入ったら楽しくなっちゃうジョンが好きだった。

 

トニーが怒ってるのに気付いて演奏を止めるジョンが好きだった。

 

ボーカルRECで攻めるなって言われてるのに割と攻めてるのが好きだった。

 

何かを求めて鋭く光る瞳と渇望の歌が好きだった。

 

どこにいるんだよって独りごちるのが好きだった。

 

ラテンだなってポールにちょっかいかけるのが好きだった。

 

ワイルドにしときゃ間違いないって自信満々なジョンが好きだった。

 

ポールの曲に魔法をかけて唯一無二にしちゃうのが好きだった。

 

その時だけはスチュよりポールを向いているのが好きだった。

 

引っ越しを決めたスチュを突き放すフリをするのが好きだった。

 

ドラマティックにトップテンクラブへの昇格を伝えるのが好きだった。

 

ペーターの上達を嬉しそうに見ているのが好きだった。

 

頂点のクラブでも自信に満ち溢れるジョンが好きだった。

 

心ここに在らずなスチュを気にするジョンが好きだった。

 

スチュがいなくなってあからさまにやる気を失くすジョンが好きだった。

 

ジョージに蹴られても笑みを讃えるだけのジョンが好きだった。

 

スチュの絵をからかうジョンが好きだった。

 

お前が呼んだんだろって少し嬉しそうなジョンが好きだった。

 

ゴッホシェイクスピアもスチュと同列に語るジョンが好きだった。

 

ベースはお前だって真顔で言うジョンが好きだった。

 

お前じゃなきゃダメなんだって泣きそうな顔で真剣に伝えるジョンが好きだった。

 

お前自身をそのアトリエに閉じ込めるなって力強く言うジョンが好きだった。

 

スチュを丸ごと理解しようとするジョンが好きだった。

 

世界を分かち合おうって手を差し出すジョンが好きだった。

 

何をおいてもスチュを逃がそうとするジョンが好きだった。

 

捕まって苛々するジョンが好きだった。

 

投獄されるスチュを支えようと伸ばす手が好きだった。

 

泣き崩れるジョージの腰に手を添えるのが好きだった。

 

スチュのもとにやってきたアストリッドを見ないようにするのが好きだった。

 

ライターがなくてポールに火を貰うジョンが好きだった。

 

時間が来てスチュに声を掛けるジョンが好きだった。

 

後ろ髪引かれるスチュを宥めるジョンが好きだった。

 

聴けなかったオーディエンスのことまで気遣ってくれるのが好きだった。

 

ポールにスチュと双子だと思われてたジョンが好きだった。

 

スチュが不機嫌なのはまさか自分のせいじゃないと思ってるジョンが好きだった。

 

スチュが投げたグラスを両手で受け止めるジョンが好きだった。

 

自分が怒られてることよりスチュが抜けようとしたことを責めるジョンが好きだった。

 

帰還が決まってスチュに小さくごめんねっていうジョンが好きだった。

 

トップテンに帰ってきて客席を襲うように顔を近付けるジョンが好きだった。

 

喝采に口角を上げるのが好きだった。

 

スチュの変容を受け流そうとするジョンが好きだった。

 

スチュの為にとんでもないイケボで曲紹介するのが好きだった。

 

悪戯っぽく笑ってマイクスタンドを必要以上に下げるのが好きだった。

 

スチュが来てそのマイクスタンドをどうぞって指すのも好きだった。

 

ピックを咥えて楽しそうに1人で伴奏するのが好きだった。

 

他のメンバーに演奏を促して目を見合わせるのが好きだった。

 

デレデレするスチュについにキレてしまうジョンが好きだった。

 

それでも女の子には絶対手を上げようとしないジョンが好きだった。

 

ポールに甘えてたからこそ怒鳴り付けてしまうジョンが好きだった。

 

去っていくふたりを眺める悲しげな背中が好きだった。

 

それでもスチュが絶対的に必要なジョンが好きだった。

 

ポールが伸ばした手に応えられないジョンが好きだった。

 

おっきな声でスチュを訪ねてくるジョンが好きだった。

 

アストリッドなんて目に入らないジョンが好きだった。

 

俺とあいつの大事な話に彼女が食い付くことを知ってるのが好きだった。

 

君もなってまだ牽制を忘れないジョンが好きだった。

 

現状を打ち明けるジョンが好きだった。

 

スチュのスピリットを必要とするジョンが好きだった。

 

1ヶ月前に願書を出したと聞いて顔を歪ませる心の揺れが好きだった。

 

彼奴は受かるよって分かってたからこそ手すりを蹴るのが好きだった。

 

スチュの才能を分かりすぎるくらい分かってるのが好きだった。

 

酔っ払いに行くってちゃんと答えるジョンが好きだった。

 

ステージ前なのに完全に酔っ払ってるジョンが好きだった。

 

ポールをあしらいつつ昔の話も楽しそうなジョンが好きだった。

 

スチュがいないのに?って本音が出ちゃうジョンが好きだった。

 

ポールの嫉妬を知ってたことを伝えるジョンが好きだった。

 

ポールの愛に応えるジョンが好きだった。

 

倒れそうになってポールに伸ばす手が好きだった。

 

ライブが終わって海にやってくる心が好きだった。

 

月明かりに照らされる俯き気味の顔が好きだった。

 

砂浜を感じてる足取りが好きだった。

 

靴を見つけてやっぱりって顔するのが好きだった。

 

スチュの声に笑顔を見せるジョンが好きだった。

 

スチュの主張を見守るジョンが好きだった。

 

2人で座り込んで嬉しそうなジョンが好きだった。

 

船乗りの話が心底楽しそうなジョンが好きだった。

 

ほんの少しだけ躊躇ってからラムをやるジョンが好きだった。

 

質問を質問で返されて何かを悟ったようなジョンが好きだった。

 

本当の気持ちをまっすぐ伝えるジョンが好きだった。

 

灯台の光に目を細めるジョンが好きだった。

 

でも絶対にスチュから顔を逸らさないのが好きだった。

 

最後まで冗談ばっかりのジョンが好きだった。

 

ゆっくり、ゆっくりスチュを抱き締めるジョンが好きだった。

 

その背中を愛おしく包む手のひらが好きだった。

 

言葉では伝わらない何かを必死に伝えているジョンが好きだった。

 

「みんなそうさ」に乗った深い感情が好きだった。

 

ハンブルクでお世話になった全員と目を合わせて歌うのが好きだった。

 

乱入したスチュを当たり前のように受け入れるのが好きだった。

 

この街でやりきった満足そうな顔が好きだった。

 

メンバーと最後のステージを讃え合うのが好きだった。

 

ラブミーテンダーを約束の曲にするジョンが好きだった。

 

円陣を組んで4人を抱きとめるようなジョンが好きだった。

 

スチュがそこを離れる瞬間必死に伸ばす指先が好きだった。

 

4人の真ん中で別れを受け止めるジョンが好きだった。

 

受け入れたなら進むしかないと力強く誓う円陣が好きだった。

 

CAVANでまた無茶してるジョンが好きだった。

 

エピーを暖かく受け入れるジョンが好きだった。

 

でもからかうことを忘れないらしさが好きだった。

 

フライングしたジョージを見下ろす目が好きだった。

 

目力と迫力でメンバーさえ怯えさせるジョンが好きだった。

 

スチュのポジションだなって運命の出会いを受け入れるジョンが好きだった。

 

オーケーP.S.!ってなんかよく分からない返事が好きだった。

 

スチュに届けるような歌詞を歌うのが好きだった。

 

3人で集まって一度も笑わないジョンが好きだった。

 

大事な仲間への盃を高く掲げるジョンが好きだった。

 

トレードマークの髪型を変えて出てくる横顔が好きだった。

 

一心不乱に悪態をつくジョンが好きだった。

 

誰の為にも泣かないジョンが好きだった。

 

口も足もとめどなく動かさないと倒れてしまいそうなジョンが好きだった。

 

スチュとの合言葉を大切に大切に抱えるジョンが好きだった。

 

それでも結局膝をついてしまうジョンが好きだった。

 

初めて動揺をぶちまけるジョンが好きだった。

 

暴れずにはいられないジョンが好きだった。

 

スチュが聞いたら怒るようなことを口走るのが好きだった。

 

ずっと一緒にいた3人に囲まれるジョンが好きだった。

 

気付けば頬を伝っていた綺麗な涙が好きだった。

 

自分の喪失よりも世界が彼を失ったことを悔やむジョンが好きだった。

 

もう誰の言葉も耳に入らないジョンが好きだった。

 

スチュのいる椅子に辿り着くジョンが好きだった。

 

スチュに泣きながら笑いかけようとするジョンが好きだった。

 

約束の歌を絞り出すように口ずさむジョンが好きだった。

 

息が出来ないくらい泣いて、それでも歌うのをやめないジョンが好きだった。

 

薬のうがいで風邪を直そうとする破天荒さが好きだった。

 

プロデューサーの無茶振りに抗議するにもハンブルクを引き合いに出すジョンが好きだった。

 

ポールにも抗議しろよって理不尽なジョンが好きだった。

 

ポールの主張を不機嫌そうに聞くジョンが好きだった。

 

スチュの名前を出されて心を決めるジョンが好きだった。

 

ワンテイクでキメろよって鬼が宿ったような迫力が好きだった。

 

リンゴにジョージに声を掛けるジョンが好きだった。

 

メンバーを1人ずつ指差すのが好きだった。

 

その最後にまっすぐスチュを指すのが大好きだった。

 

スチュに届けるような魂の咆哮が好きだった。

 

全てを越えて巨大な波に飛び込んでいく覚悟が好きだった。

 

青春の最後の煌めきを全身で歌うジョンが好きだった。

 

ずっとスチュがそばにいることにちゃんと気付くジョンが好きだった。

 

迎えに来たスチュを照れくさそうに見るのが好きだった。

 

差し出されたコートの着方が好きだった。

 

永遠を手に入れたように安らかな顔が好きだった。

 

ふたりきりの世界で優しく肩を抱くジョンが好きだった。

 

額縁の向こうへ帰っていく幸せそうな背中が好きだった。

 

 

 

 

 

あの日出逢ったジョンレノンの、

 

何もかもが大好きだった。